
NTTデータ(東京都大田区山王1-3-5)とモントレ山王の間の路地を入っていくと、JRの線路際に「大森貝墟」という碑があった。1930年(昭和5年)4月に建立とのこと。

人影もなく、事前に見た「碑」とは違う。そこで携帯電話で地図を調べたところ、この先にも「大森貝塚」があるらしい。
大森貝墟の場所
【鉄道】

- JR「大森駅」下車、徒歩5分

大森貝塚

池上通りに戻って北上を続けると、品川区との区境を越え、「品川区立大森貝塚遺跡庭園」(東京都品川区大井6-21-6)が見えてきた。NTTデータ・ビルの脇に比べると、こちらは本格的な公園だ。

JRの線路際へ降りてみると、やはり石碑がある。
「大森貝墟」も「大森貝塚」もJRの線路の間際にあり、電車の中から見ることができるほどだ。
「大森貝墟」も「大森貝塚」もJRの線路の間際にあり、電車の中から見ることができるほどだ。


ところが、"Shell Mounds of Omori" には発掘場所の地番や周辺地図などはなく、下記のように記述されているだけだったため、モースの死後、発掘場所を巡って混乱が生じた。そんな状況で、「大森貝塚」と「大森貝墟」の2つの石碑が建ってしまったわけである。
大森貝塚は、東京横浜間の帝国鉄道の西側に位置し、東京から6マイル弱の距離にある。東京行きの汽車が大森駅を発ってすぐ車窓から見える。
鉄道は、貝塚を縦断して走っており、線路を隔てて崖と逆側の畑には、かつて貝塚を構成していた土器破片や貝殻が散らばっている。(「大森貝塚」20ページより)

発掘から100年を経た1977年(昭和52年)、当時の地権者であった櫻井甚右衛門への発掘補償金関連文書が発見され、発掘場所が「大井村2960番地字鹿島谷」、現在の品川区大井であることが分かった。さらに、1984年(昭和59年)に「大森貝塚」碑周辺を調査し、縄文時代の貝塚が再発見されたことから、モースの発掘場所は「大森貝塚」碑周辺であったことが確認された。

そこで、品川区は「大森貝塚」碑の周囲1,165平方メートルを買収し、1985年(昭和60年)に品川区立大森貝塚遺跡庭園としてオープンした。さらに約5,200平方メートルの土地を加え、1996年(平成8年)に新装オープンした。

そこで、品川区は「大森貝塚」碑の周囲1,165平方メートルを買収し、1985年(昭和60年)に品川区立大森貝塚遺跡庭園としてオープンした。さらに約5,200平方メートルの土地を加え、1996年(平成8年)に新装オープンした。

大森貝塚遺跡庭園には、写真のように貝塚が保存展示されている。

一方、「大森貝墟」碑の周辺は、1977年(昭和52年)10月に東京都大森貝塚保存会と日本電信電話公社(当時)によって現在のように整備された。

一方、「大森貝墟」碑の周辺は、1977年(昭和52年)10月に東京都大森貝塚保存会と日本電信電話公社(当時)によって現在のように整備された。
大森貝塚の場所
【鉄道】

- JR「大森駅」下車、徒歩15分
- 京浜急行「大森海岸駅」下車、徒歩20分

近隣の情報
- 大森貝塚は2つある:ぱふぅ家のホームページ
- 品川歴史館で貝塚について学ぶ:ぱふぅ家のホームページ
- 東京メガイルミが大井競馬場の夜空を彩る:ぱふぅ家のホームページ
- JR大井工場 夏休みフェアで電車のモックアップに大喜び:ぱふぅ家のホームページ
- JR東京総合車両センターで新型E257系が展示:ぱふぅ家のホームページ
- JR大井工場が誇るレールスターとは!?:ぱふぅ家のホームページ
- JR東京総合車両センターでミニ掛け軸を作る:ぱふぅ家のホームページ
- JR大井工場 夏休みフェア でパンタグラフの昇降操作に挑戦:ぱふぅ家のホームページ
- 親子でハーブの袋づくり(2019年10月6日)
- ハロウィーン キティ装飾画で華やかに(2017年10月2日)
(この項おわり)
(徒歩で約29分、自転車で約10分、車で約4分)
大森貝塚を見に行こうという話になり、JR大森駅を降り、池上通りを北上した。