峠の釜めしは今も人気

2012年8月17日・2016年9月11日 撮影
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峠の釜めしは、荻野屋(群馬県安中市松井田町横川399)の4代目社長であった高見澤みねじが、自らホームに立ち旅行者ひとりひとりの駅弁への意見や思いを聞いて回った結果、1958年に誕生した。
この日は、横川駅構内の店舗は盛況で、駅の外にある仮設テントでは観光客が釜飯を美味しそうにほおばっている。伝統の味は健在である。
峠の釜めし
2016年9月11日 撮影
ぱふぅ家も昼食用に購入。めがね橋で美味しくいただいた。食べ終わった土釜は仮設テントの売店で回収している。
荻野屋は1885年(明治18年)の創業で、横川駅でおむすびの販売からスタートした。現存する最古の駅弁業者だ。
峠の釜めしの大きな写真大きな写真
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峠の釜めし
2012年8月17日 撮影
かつての横川駅は、碓氷峠を越えるために機関車の連結作業を行うなどするため、停車時間が長かった。乗客の意見を元に、「温かくて家庭的な楽しいお弁当」というコンセプトで、保温のために益子焼の土釜に入れた峠の釜めしが誕生した。
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峠の釜めし
2012年8月17日 撮影
発売当時の価格は120円で、かけそばの5倍もしたが、『文藝春秋』1958年(昭和33年)9月号のコラムに掲載されたのをきっかけに評判が高まった。1961年(昭和36年)には横浜高島屋の駅弁大会に出品した。1967年(昭和42年)放映のテレビドラマ『釜めし夫婦』が人気に拍車を掛けた。
モータリゼーションの普及に合わせ、「峠の釜めし・ドライブイン(現・おぎのやドライブイン横川店)」でもマイカーやバス旅行者向けに販売されるようになった。
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1997年(平成9年)9月、信越本線横川~軽井沢駅間が廃止された時には廃業の危機に陥ったというが、東京駅、新宿駅、軽井沢駅、高崎駅など主要駅の駅弁売場や、群馬県内と長野県内にあるドライブインなどの直営店、全国各地で開催される駅弁大会と販売チャネルを増やし、益子焼の土釜に入った駅弁というスタイルを守ったまま現在に至っている。
宮内庁御用達用釜めし容器 - 峠の釜めし
宮内庁御用達用釜めし容器
横川駅を出てすぐに、荻野屋本店がある。
本店の真向かいにある「おぎのや資料館」には、1958年(昭和33年)10月、昭和天皇が富山国体へ行幸した際、峠の釜めしを積み込んだという。今上天皇も皇太子時代、軽井沢でのご静養の際に、峠の釜めしを積み込んでいる。
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この容器は、皇室への専用容器として使用しているもので、人間国宝・濱田庄司(1894年~1978年)の手になる器である。

交通アクセス

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出発地の最寄駅:

目的地:荻野屋

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(この項おわり)
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