高千穂峡は神々が住まう場所

2016年3月19日 撮影
真名井の滝 - 高千穂峡
高千穂峡(宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井)のシンボルで、日本の滝百選にも選定されている真名井の滝 (まないのたき) 。高さ17メートル。

天村雲命 (あめのむらくものみこと) が天孫降臨の際、この地に水がなかったので水種を移したところ、天真名井として湧水し、滝となって流れ落ちるようになった。

貸しボートで滝に近づくことができ、夏休み期間中は22時までライトアップされ、幻想的な雰囲気を出している。
真名井の滝 - 高千穂峡の大きな写真大きな写真
(1707×2560 ピクセル, 2648 Kbyte)
高千穂峡
高千穂峡は、1934年(昭和9年)に「五箇瀬川峡谷 (ごかせがわきょうこく) 」として国の名勝・天然記念物に、1965年(昭和40年)に祖母傾国定公園 (そぼかたむきこくていこうえん) の一部に指定された。年間約150万人が訪れる、宮崎県を代表する観光スポットだ。

12万年前と9万年前の阿蘇山の大噴火によって噴出した火砕流を浸蝕してできた峡谷で、高いところで100メートル、平均80メートルの断崖が7キロメートルも続いている。神の住まう場所に相応しい不思議な光景が続く。
高千穂峡の大きな写真大きな写真
(1361×1920 ピクセル, 1682 Kbyte)
高千穂峡
高千穂神社まで遊歩道が整備されているが、階段が多いので歩きやすい服装と靴を選ぼう。
高千穂峡の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1263 Kbyte)
高千穂峡
峡谷を流れる五ヶ瀬川は、九州山地の向坂山(標高1684m)に源を発し、東に向かって日向灘に注ぎ込む河川で、アユ釣りで有名だ。

高千穂峡は水が豊富だというところがポイントである。高千穂に降臨したとされる天孫は、稲作民族と考えられているからだ。高千穂の名も稲穂に由来する。だが、高千穂そのものは稲作に適した土地ではなく、明治後半に、品種改良・技術改良により、ようやく耕作面積や生産量が増え、いまも多くの棚田がある。
高千穂峡の大きな写真大きな写真
(1273×1920 ピクセル, 1127 Kbyte)
おのころ池 - 高千穂峡
真名井の滝の水源となっている おのころ池
昔、この池には神社があり、鵜の鳥が神聖な鳥であったとされている。高千穂神社の春祭では、神輿がこの池を三度回って禊ぎをする。
おのころ池 - 高千穂峡の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1065 Kbyte)
高千穂峡
この日は霧がけぶっており、いかにも神様が出てきそうな雰囲気だった。
高千穂峡にはパワースポットも多いという。
高千穂峡の大きな写真大きな写真
(1280×1920 ピクセル, 923 Kbyte)
高千穂峡
阿蘇カルデラをつくった火山活動によって、約12万年前と約9万年前の2回に噴出した火砕流が、当時の五ヶ瀬川の峡谷沿いに厚く流れ下った。この火砕流堆積物が冷却固結し溶結凝灰岩となり、柱状節理 (ちゅうじょうせつり) が生じた。
溶結凝灰岩は磨食を受けやすいため、五ヶ瀬川の侵食によって再びV字峡谷となったものが高千穂峡である。
高千穂峡の大きな写真大きな写真
(1280×1920 ピクセル, 1664 Kbyte)
高千穂峡
柱状節理 (ちゅうじょうせつり) とは、溶岩が冷却固結する際に角柱状となった規則的な割れ目のことである。六角柱状のものが多い。マグマの冷却面と垂直に発達する。
高千穂峡の大きな写真大きな写真
(1280×1920 ピクセル, 1180 Kbyte)
鬼八の力石 - 高千穂峡
鬼八の力石 (きはちのちからいし) は、重さが約200トンもある。
神武天皇と、その兄、三毛入野命 (みけぬのみこと) は大和から帰還し、悪行をはたらいていた鬼八を退治する。このとき、鬼八が三毛入野命に投げつけ、力自慢をしたのが、この巨岩である。
鬼八の力石 - 高千穂峡の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1185 Kbyte)
高千穂三段橋 - 高千穂峡
高千穂三段橋は、石造りの神橋、鋼鉄製の高千穂大橋、そして2003年(平成15年)3月に完成したコンクリート製の神都高千穂大橋の3つを指す。1つの峡谷に3本のアーチ橋が架かるのは全国で初めてだ。

高千穂峡が観光地化したのは戦後のことである。1950年(昭和25年)10月、日本観光地百選に高千穂峡が峡谷の部でみごと3位で入選する。地域住民が投票したことが大きい。これを機に、観光客が増えていった。
高千穂三段橋 - 高千穂峡の大きな写真大きな写真
(1280×1920 ピクセル, 1147 Kbyte)

高千穂神社

高千穂神社
高千穂神社(宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井字神殿1037)は、1900年(明治33年)前、垂仁天皇時代に創建されたと伝えられている。神社本殿と所蔵品の鉄造狛犬一対は国の重要文化財に指定されている。
高千穂神社の大きな写真大きな写真
(1920×1264 ピクセル, 1190 Kbyte)
高千穂神社
主祭神は、高千穂皇神 (たかちほすめがみ) 十社大明神 (じっしゃだいみょうじん) で、とくに農産業・厄祓・縁結びの神をして広く信仰を集めている。高千穂皇神とは、日向三代と配偶神の総称だ。十社大明神は、三毛入野命をはじめとする10柱を祀っている。

境内には、800年(延暦19年)前、鎌倉将軍・源頼朝の命で、秩父の畠山重忠が代参し植えたとされる秩父杉があり、御神木となっている。幹の周囲は7メートルあまり、高さは55メートルにもなる。
また、2本の杉の幹がくっついた夫婦杉があり、この杉の周りを夫婦、恋人、友達と手をつないで3回まわると縁結び、家内安全、子孫繁栄の3つの願いがかなうといわれている。
高千穂神社の大きな写真大きな写真
(1237×1920 ピクセル, 913 Kbyte)
高千穂神社
高千穂神社の主祭神である三毛入野命が鬼八を退治したとされる伝説がこの地方には残り、ゆかりの「猪掛祭」は今も受け継がれている。
高千穂神社の大きな写真大きな写真
(1920×1882 ピクセル, 1877 Kbyte)

天岩戸神社

天岩戸神社
天岩戸神社 (あまのいわとじんじゃ) (宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸1073-1)は、西本宮と東本宮の2つがあり、ともに皇祖神・天照大神 (あまてらすおおみかみ) を祀るとはいえ、創祀以来皇室や朝廷からではなく、在地住民からの信仰を主としている。
天岩戸神社の大きな写真大きな写真
(2560×1655 ピクセル, 2023 Kbyte)
天岩戸神社
霧島に高千穂峰があり、どちらが天孫降臨の場所かということで、古くから論争がある。
天岩戸神社の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1138 Kbyte)
天岩戸神社
古事記・日本書紀に、天照大神が弟の素戔嗚命 (すさのおのみこと) の乱暴に怒り、天岩戸に籠もったという伝説がある。御神体「天岩戸」は、西本宮から拝観することができる。社務所にて受付が必要だ。
天岩戸神社の大きな写真大きな写真
(1164×1920 ピクセル, 1091 Kbyte)
天安河原 - 天岩戸神社
西本宮から、岩戸川を500メートルほど遡った所に、天安河原 (あまのやすわら) がある。
ここは、天照大神が天岩戸に隠れた際、八百万の神々が集まって相談した場所であると伝えられている。
天安河原 - 天岩戸神社の大きな写真大きな写真
(1280×1920 ピクセル, 1223 Kbyte)
仰慕窟 - 天岩戸神社
天安河原の中央には、仰慕窟 (ぎょうぼがいわや) と呼ばれる洞窟があり、思兼神を主祭神として八百萬神が祀られている。
この付近で小石を積むと願いが叶うとされ、多くの石積みがみられる。
仰慕窟 - 天岩戸神社の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1295 Kbyte)

高千穂駅

高千穂駅
高千穂駅(宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井1444-1)は、高千穂鉄道・高千穂線の終着駅だった。

1972年(昭和47年)7月に開業。国鉄分割民営化後はJR九州に継承されるが、1989年(平成元年)4月、第三セクター・高千穂鉄道に移管された。
高千穂駅の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 778 Kbyte)
高千穂駅
島式1面2線ホームの地上駅で、2003年度の1日平均乗車人員は220人だった。
2005年(平成17年)9月、台風14号による被害のため、全線が運転休止となり、2008年(平成20年)12月、廃止となった。
高千穂駅の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1070 Kbyte)

交通アクセス

【バス】
  • 熊本駅から特急バスで約3時間。
  • 延岡駅から路線バスで約1時間30分。

参考サイト

高千穂峡 関連

近隣の情報

(この項おわり)
header