大内宿は江戸時代へタイムスリップしたかのよう

2019年6月23日 撮影
大内宿
大内宿
大内宿 (おおうちじゅく) (福島県南会津郡下郷町大字大内字山本)は、1643年(寛永20年)頃、会津と奥州街道を結ぶ会津西街道(下野街道)の宿場として開かれた。
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下郷町町並み展示館 - 大内宿
下郷町町並み展示館
1644年(寛永21年)から1680年まで21回あった会津藩の参勤交代は大内宿を通った。その後、幕府の取り締まりにより途絶えた。現在、本陣跡は下郷町町並み展示館となっている。
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高倉神社の鳥居 - 大内宿
高倉神社の鳥居
高倉神社には高倉宮以仁王 (たかくらのみやもちひとおう) が祀られており、宿場の鎮守となっている。
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三澤屋 - 大内宿
三澤屋
大内宿 三澤屋では、信濃高遠藩から会津藩へ移封した藩主・保科正之 (ほしな まさゆき) が好きだった高遠そばを食べることができる。箸の代わりにネギを用いて蕎麦を食べる風習がある。オリジナルの日本酒も飲める。
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弁天様 - 大内宿
弁天様
大内宿の突き当たりの石段を登ってゆくと、子安観音と弁財天堂がある。

1868年(慶応4年)の戊辰戦争では、大内宿は戦禍を逃れ、1871年(明治4年)の廃藩置県で若松県に、1876年(明治9年)に福島県に合併した。
1899年(明治32年)、若松駅(現・会津若松駅)が開業すると、物流は南会津を通らなくなり、大内宿は次第に寂れていった。
見晴台から - 大内宿
見晴台から
見晴台から、大内宿の全貌を望むことができる。まるで時代劇のセットのようだ。

太平洋戦争後、電気が引かれた。1955年(昭和30年)、下郷町が成立。簡易水道が引かれ、テレビや耕運機を購入する世帯も見られた。
この頃、外部から研究者が訪れ、宿場の街並みが再評価され、1970年(昭和45年)放映のNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」のロケ地として有名になった。
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大内宿
大内宿
1980年(昭和55年)、下郷町伝統的建造物群保存地区保存条例が制定され、町並みの保存と観光資源の掘り起こしが始まった。
1985年(昭和60年)、年間2万人だった観光客数は、バブル期に50万人を突破。2007年(平成19年)には100万人を突破し、福島県有数の観光地となった。
大内宿
大内宿
2011年(平成23年)の東日本大震災で観光客数は激減するが、NHK大河ドラマ「八重の桜」のおかげで回復。現在は80万人前後で推移している。

交通アクセス

【鉄道】
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大内宿 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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