永平寺は曹洞宗の大本山

2019年8月15日・2023年7月29日 撮影
仏殿 - 永平寺
仏殿 2019年8月15日撮影
大本山永平寺 (えいへいじ) (福井県吉田郡永平寺町志比5-15)は、總持寺 (そうじじ) と並ぶ曹洞宗の大本山で、1244年(寛元2年)、道元によって開かれた。
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永平寺
永平寺 2019年8月15日撮影
1200年(正治2年)、京都で生まれた道元は、12歳の時に出家し、比叡山で修行を積んだ。
天台宗は、人は生まれながらにして悟っていると教えていた(本覚 (ほんがく) 思想)。
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永平寺
永平寺 2023年7月29日撮影
だが、悟りを開くまでに厳しい修行が必要であることに矛盾を感じた道元は、1223年(貞応2年)、宋で禅を学んだ栄西 (えいさい) 禅師の弟子、明全 (みょうぜん) 和尚とともに宋へ渡った。

宋で、如浄 (にょじょう) 禅師のもとで修行した道元は、1227年(嘉禄3年)に帰国。座禅の在り方を説いた「普勧坐禅儀 (ふかんざぜんぎ) 」を記した。

京都に興聖寺を建立するが、比叡山からの迫害に遭い、1243年(仁治4年)、越前国(現在の福井県)に身を寄せ、翌1244年(寛元2年)、傘松峰大佛寺 (さんしょうほうだいぶつじ) を建立する。これが永平寺のはじまりである。
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永平寺
永平寺 2019年8月15日撮影
永平寺は、一般拝観できるが、本質は修行の場という位置づけである。寺に入ったら、修行僧の邪魔にならないよう慎まなければならない。
永平寺
永平寺 2019年8月15日撮影
永平寺の朝は早い。午前4時に振鈴 (しんれい) と呼ぶ鈴が鳴り起床となる。冬には氷点下10度を下回る日もあるが、顔をくまなく水で洗い、身支度を整え、坐禅堂で暁天坐禅 (きょうてんざぜん) を行う。つづいて法堂で読経、回向を行う朝課諷経 (ちょうかふぎん) があり、7時に朝食となる。
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傘松閣 - 永平寺
傘松閣 2019年8月15日撮影
拝観料を払って、1971年(昭和46年)に建てられた5階建ての鉄筋コンクリート製の吉祥閣に入る。ここで履き物を脱いで、回廊と呼ばれる廊下を伝って拝観する。
傘松閣 - 永平寺
傘松閣 2019年8月15日撮影
傘松閣 (さんしょうかく) は、1930年(昭和5年)に建築。222畳敷きの大広間には、230枚の絵がはめ込まれた天井がある。
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傘松閣 - 永平寺
傘松閣 2023年7月29日撮影
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回廊 - 永平寺
回廊 2019年8月15日撮影
永平寺には70あまりの建物があり、そのうち回廊で繋がっている山門、仏殿、法堂、僧堂、庫院、浴室、東司は坐禅姿を模しているとされ、七堂伽藍と呼ぶ。
僧堂、浴室、東司(トイレ)は三黙道場といって、私語禁止である。

回廊から、中雀門大庫院をのぞむ。
回廊 - 永平寺
回廊 2019年8月15日撮影
きらびやかなのは傘松閣だけで、他の建物は禅宗らしく質素なたたずまいだ。外国人観光客もほとんどいなかった。

法堂 (はっとう) へ向かって回廊は階段になっている。
回廊 - 永平寺
回廊 2019年8月15日撮影
修行僧は、朝食のあと、1~2時間かけ、全長900メートルの回廊を雑巾掛けするというから、大変な重労働だ。
道元の教えは、ひたすら座禅を組む只管打坐 (しかんたざ) にあるが、それだけではなく、目覚めてから就寝するまでの所作すべてが修行だという。
回廊の清掃が終わったら、他の場所も清掃する。そして、仏殿で日中諷経 (にっちゅうふぎん) と呼ばれるお昼のお務めをしてから昼食となる。
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鳴り物 - 永平寺
鳴り物 2019年8月15日撮影
寺院内には時計はなく、携帯電話の電波が届かない場所もあるほど。

こうした鳴り物を使って、日課の合図をする。こちらの木の板は、相当、年季が入っている。
鳴り物 - 永平寺
鳴り物 2019年8月15日撮影
参拝するときは、鳴り物を鳴らしてはいけない。

昼食が終わると、午後の清掃が2時間続き、仏殿で晩課諷経 (ばんかふぎん) と呼ぶ夕方のお勤めになる。午後5時頃に夕食をとり、入浴。夜にも座禅を行い、午後9時以降に就寝となる。
承陽殿 - 永平寺
承陽殿 2019年8月15日撮影
承陽殿は、道元から5世までの住職の像を安置している。1881年(明治14年)に建築された。
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承陽殿 - 永平寺
承陽殿 2019年8月15日撮影
中央にある扁額は、明治天皇が道元に贈られた御筆である。
道元承陽大師の別名があったことから、この名が付いた。
法堂 - 永平寺
法堂 2019年8月15日撮影
回廊から法堂を見上げたところ。
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法堂 - 永平寺
法堂 2019年8月15日撮影
法堂は1843年(天保13年)の建築で、聖観音 (しょうかんのん) 像を安置している。
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法堂 - 永平寺
法堂 2019年8月15日撮影
寺院内は、修行僧が黙々と日課をこなしており、読経しているときには建物内に入ることはできない。写真撮影は許可されているが、修行僧が映り込まないように配慮すること。

大庫院 (だいくいん) は1930年(昭和5年)に建築された地上3階地下1階の木造で、修行僧に食事を用意する台所兼事務所の役割を果たしている。
久我竜胆の紋 - 永平寺
久我竜胆の紋 2019年8月15日撮影
明治になるまで、永平寺の紋は定められていなかった。御撫物を賜った寺院として、もっぱら菊花の紋を使用していた。
1879年(明治12年)、承陽殿、孤雲閣が焼失し、再建する際、道元の出身とされる久我家の紋(久我竜胆)が使用されるようになった。
大庫院・瑞雲閣 - 永平寺
大庫院・瑞雲閣 2019年8月15日撮影
150人ほどいる修行僧が、毎朝午前3時半(冬期は午前4時半)に起床する。その1時間前から食事の準備を始めるという。
大庫院の2階は瑞雲閣 (ずいうんかく) と呼ばれ、一般参詣者の宿泊に充てる和室や応接間がある。
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すりこぎ棒 - 永平寺
すりこぎ棒 2019年8月15日撮影
大庫院の前に、大きなすりこぎ棒がぶら下がっている。

元々は寺の地ならしをするために使ったものだが、すりこぎ棒に見立てて削ったという。この すりこぎ棒を3回さすると、女性は料理上手に、男性は(ゴマすりが巧くなり)出世すると言われている。多くの参詣客がさすった部分が白くなっている。
中雀門 - 永平寺
中雀門 2019年8月15日撮影
仏殿から中雀門山門を見下ろす。
中雀門は、宮中の朱雀門に相当するもので、1852年(嘉永5年)、道元禅師600回大遠忌に建築された。
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永平寺
庭 2019年8月15日撮影
仏殿七堂伽藍の中心に当たる建物で、1902年(明治35年)に改築された。須弥壇 (しゅみだん) には釈迦如来(現在)が、右に弥勒菩薩(未来)、左側に阿弥陀如来(過去)の三世如来の三世仏が安置されている。

山門から庭をのぞむ。
苔むした趣のある庭だが、石段が傾いていたり危険であるため、一般参詣客は庭に出ることはできない。
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永平寺
庭 2023年7月29日撮影
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永平寺
庭 2023年7月29日撮影
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山門 - 永平寺
山門 2019年8月15日撮影
山門は、回廊からは木の陰になって全貌を見ることはできないが、1749年(寛延2年)に再建された唐時代様式の楼閣門だ。永平寺は何度も火災に見舞われるが、この山門だけが焼け残り、最古の建物となっている。
山門 - 永平寺
山門 2019年8月15日撮影
山門を内側から見たところ。

修行僧は、入山するときと、下山するときの、たった2回だけ山門を通ることが許されるという。
四天王 - 永平寺
四天王 2019年8月15日撮影
山門の内側には仏教の守護神である四天王が安置されており、外部から進入する悪魔を遮っている。
庭 - 永平寺
庭 2019年8月15日撮影
永平寺は、中国に初めて仏教が伝来した後漢明帝のときの元号「永平」から名付けられた。永久の平和という意味だ。
山門の上方には、山号である吉祥山の名の由来が書かれた「吉祥の額」が掲げられている。
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巨大な数珠 - 永平寺
巨大な数珠 2019年8月15日撮影
祠堂殿の入口上部には、長さ18メートル、重さ250kgの巨大な数珠が掛けられている。

参詣路の最後に、「ひといき座禅」の間が用意されている。自由に座禅を組める。
永平寺
永平寺 2019年8月15日撮影
1253年(建長5年)、道元が没する。1300年代に入ると、寺勢は衰えるが、1253年(建長5年)に住職となった5世義雲が再興する。応仁の乱の戦禍で伽藍が焼失した。その後、織田信長が朝倉氏を滅ぼした影響で、越前一向一揆が起き、信長はこれを平定する。1575年(天正3年)、信長は永平寺に禁制を下した。

江戸時代に入り、1615年(慶長20年)、江戸幕府は永平寺諸法度を布告し、總持寺とともに曹洞宗大本山として統制させることになった。
庭 - 永平寺
庭 2023年7月29日撮影
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門前 - 永平寺
門前 2019年8月15日撮影
永平寺の門前には、多くの土産物屋や食堂が並ぶ。
永平寺門前警備派出所 - 永平寺
永平寺門前警備派出所 2019年8月15日撮影
永平寺門前警備派出所
門前 - 永平寺
門前 2019年8月15日撮影
門前では獅子舞が見られた。

交通アクセス

【鉄道+バス】
  • えちぜん鉄道 勝山永平寺線「永平寺口駅」から京福バス「永平寺線」で約14分、410円
永平寺 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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