燕三条駅は燕市と三条市にまたがる

2019年10月5日 撮影
燕三条駅
燕三条駅 (つばめさんじょうえき) (新潟県三条市下須頃497)は、1982年(昭和57年)、上越新幹線の開業に合わせて開設された。現在、JR弥彦線も乗り入れている。
燕市と三条市が激しい誘致合戦を繰り広げ、田中角栄らの仲裁により、北口を燕市、南口を三条市、登記上は駅長室のある三条市を所在地とすることで落着した。
燕三条駅の大きな写真大きな写真
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彌彦神社の大鳥居 - 燕三条駅
駅構内には、彌彦神社 (やひこじんじゃ) の大鳥居のミニチュア版が展示されている。ミニチュアといってもくぐり抜けられる高さがある。
本物の大鳥居は、高さ30.16メートル、幅20.0メートルと、日本一の大きさで、1982年(昭和57年)の上越新幹線開業を記念して建てられた。
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燕三条Wing - 燕三条駅
大鳥居の隣にある燕三条Wingは観光物産センターになっており、燕三条で生産された優れたデザインと高品質を誇る金物などの製品を展示販売している。
燕三条Wing - 燕三条駅の大きな写真大きな写真
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株式会社共栄鍛工所 - 燕三条駅
株式会社共栄鍛工所は1930年(昭和5年)の創業。三条市に工場を構え、鍛造を主軸に営業している。駅構内にはガンダムっぽい広告が――
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ニパ子 - 燕三条駅
ショウケースには、ニパ子ちゃんが踊る。
三条市のゴッドハンド株式会社が製造、販売するプラモデルの「ゲート」処理専用ニッパー「アルティメットニッパー」の擬人化キャラクターとして2013年(平成25年)に誕生。
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本名はセリーヌ・P・ニッパーヌで、工具を模した宇宙人が住む星「惑星コウグ」のニッパー族第一王女という設定。2014年(平成26年)には、アニメーターの小池智史がキャラデザを再構成した。
毎年11月28日は、いいニッパーの日だ‼

三条と燕はライバル?

北陸自動車道の三条燕インターチェンジは駅名と逆順であるが、1978年(昭和53年)9月21日に開業した。インターチェンジは三条市内に位置する。
プロレスラーのジャイアント馬場(身長209cm)は、1938年(昭和13年)1月23日、三条市で生まれた。馬場と戦ったキラー・カーン(身長195cm)は、1947年(昭和22年)3月6日、燕市に生まれた。

古来、信濃川は3年に一度氾濫を起こしており、三条など河口近くの平野部で稲作を行うことができなかった。このため、三条ではもの作りが始まることになる。五十嵐川 (いからしがわ) が通じている会津から、もの作りの技術が伝わった。信濃川からは砂鉄が、五十嵐川からは燃料になる木炭が三条に集まった。
江戸時代のはじめ、江戸市街の建設ラッシュに応じ、三条で和釘がつくられはじめる。三条商人は、各地で必要とされる鉄製品の情報を集め、より安い価格で販売するというビジネスモデルを確立した。
三条は燕の職人に安い値段で鉄製品を作らせ、燕の職人達はこれを不満に感じていた。

江戸時代中頃、弥彦山で銅鉱石が見つかる。燕は、この銅を使ってキセルやヤカンを製造することで、加工技術が飛躍的に進歩し、1914年(大正3年)からカトラリー(金属洋食器)生産地として名を馳せるようになる。なかでも、山崎金属工業 YAMACOのカトラリーはノーベル賞の晩餐会で使用されたり、2023年(令和5年)のG7新潟財務大臣・中央銀行総裁会議の記念品として選ばれた。

信濃川の氾濫する水を海に逃がすために、1870年(明治3年)から大河津分水路をつくる工事が始まった。三条と燕の職人が協力して山から土を運んできて、水田が造成された。工事は1931年(昭和6年)に完成した。
1916年(大正5年)に、三条と燕を結ぶ弥彦線が開通し、信越本線を経由して東京へ製品を運ぶことができるようになった。弥彦線の終点には彌彦神社 (やひこじんじゃ) がある。

交通アクセス

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目的地:燕三条駅
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参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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