猿橋をわたって吾妻渓谷へ

2021年10月22日 撮影
猿橋
猿橋
猿橋(群馬県吾妻郡東吾妻町松谷873)は、長さ43メートル、幅3メートルの人道橋で、八ッ場ダムの下流1.2kmにあたる吾妻渓谷の両岸をつなぐ。2017年(平成29年)3月27日に開通した。
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吾妻渓谷
吾妻渓谷
江戸から大正期にかけて実在した同名の橋を参考に設計したもので、八ツ場ダム本体工事の影響で一般車両の通行ができなかったため、最寄の十二沢パーキングからの遊歩道も整備された。

吾妻渓谷は、吾妻川に架かるふれあい大橋から新蓬莱までの約2.5kmにわたる渓谷で、両岸に生い茂るカエデやクヌギ、アカマツなどがすばらしい景観に季節ごとの彩りを添え国指定名勝となっている。ミツバツツジの咲く4月中旬、新緑におおわれた5月、紅葉の美しい10月下旬から11月上旬にかけてが、渓谷探検に最高のシーズンとなっている。
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飛鹿橋 - 吾妻渓谷
飛鹿橋
赤い手すりになっている飛鹿橋 (しかとびばし) ――鹿が飛んで渡れるほど川幅が狭くなっていることから、この名が付いた。
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吾妻渓谷
吾妻渓谷
飛鹿橋から見下ろすと、川幅は約3メートルと狭くなっているが、高さは50メートルもある。吾妻渓谷の選りすぐった10か所の名所「十勝」のひとつ、八丁暗がりと呼ばれている。

吾妻渓谷を流れる吾妻川は、長野県境の鳥居峠付近を源流とし、吾妻郡内を東へと流れ、渋川市で利根川へと合流する。

中新世の火山噴火による安山岩や凝灰角礫岩による地層が吾妻川による浸食を受け、現在の地形となった。国道145号の旧道から川面までの高さは50メートルに達し、川は屈曲し、瀬や淵、滝、奇岩など、変化に富んだ景観となっている。
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吾妻渓谷
吾妻渓谷
吾妻渓谷は、吾妻郡を東西に隔てる難所だったが、江戸時代に入り交易が盛んになると開削が試みられ、1895年(明治28年)、野口茂四郎が私財を投じて野口新道(国道145号旧道)を開通させた。
1912年(明治45年)には、馬車鉄道の吾妻温泉馬車軌道が開業した。1920年(大正9年)には路面電車となり、1933年(昭和8年)まで営業を続けた。
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吾妻渓谷
吾妻渓谷
これとは別に、群馬鉄山で採掘された鉄鉱石を輸送するための路線として、1945年(昭和20年)、渋川駅~長野原駅間に長野原線が開業し、長野原から群馬鉄山のある太子 (おおし) まで日本鋼管の群馬鉄山専用線が敷設された。1946年(昭和21年)までに渋川駅~長野原駅間の旅客営業を順次開始し、1954年(昭和29年)には群馬鉄山専用線の旅客営業も始まった。1971年(昭和46年)3月、長野原線は大前まで延伸し、吾妻線に名称変更した。

吾妻渓谷は、九州の耶馬渓 (やばけい) にちなんで、関東の耶馬渓とも呼ばれる。
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吾妻渓谷
吾妻渓谷
吾妻渓谷の奇岩群を構成しているのは、普通輝石などを斑晶鉱物として含む輝石安山岩で、全体的に灰色をしている。日本で見られる最も多い火山岩である。
プレートの沈み込み帯で噴火した非アルカリ質の岩石で、地表に流出したマグマが冷えて固まったものである。マグマの冷却速度は玄武岩ほど早くなく、そのため斑晶が成長し、肉眼で見ることができる大きさになる。
最近では、マントル物質から直接安山岩質マグマが生成されるという仮説の検証が進められている。

本小松石 (ほんこまついし) など、国内で産出される輝石安山岩は高級墓石のブランドとなっている。
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この石碑は、1962年(昭和37年)3月7日、地元の消防団員16人が乗った消防車が渓谷に転落し、6人が死亡した事故を悼んで立てたもの。
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交通アクセス

【バス】
  • 岩島駅からバス約5分、「十二沢パーキング」下車、徒歩すぐ
【自動車】
  • 十二沢パーキング(群馬県吾妻郡東吾妻町三島6677-1)から徒歩すぐ
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出発地の最寄駅:

目的地:猿橋
吾妻線 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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