西暦57年 - 倭の奴国王が後漢から金印を受け取る

国宝は贋作か?
倭奴国王印
倭奴国王印
後漢の光武帝 (こうぶてい) は、建武中元2年(57年)、奴国からの朝賀使に冊封のしるしとして印を授けた。これが、1931年(昭和6年)に国宝に指定された金印(倭奴国王印 (わのなのこくおういん) )である。
発見の経緯に不自然な点があるとして、近世に偽造された贋作であるとの説がある。

この時代の世界

-75 -25 25 75 125 175 57 倭の奴国王が後漢から金印を受け取る -6 57 光武帝 -30 クレオパトラの死 -73 -4 ヘロデ -63 14 オクタビアヌス 64 ローマ大火 79 ポンペイの滅亡 76 138 ハドリアヌス -49 カエサルがルビコン川を渡る -27 ローマの帝政はじまる 28 イエス・キリストの処刑 -4 28 イエス・キリスト 37 68 ネロ 53 117 トラヤヌス 96 五賢帝時代はじまる Tooltip

参考書籍

表紙 金印偽造事件—「漢委奴國王」のまぼろし
著者 三浦佑之
出版社 幻冬舎
サイズ 新書
発売日 2006年11月
価格 792円(税込)
ISBN 9784344980143
一七八四年、志賀島(現在、福岡県)の農民・甚兵衛が田んぼの脇の水路から発見したとされ、日本史の教科書にも掲載されているあまりに有名な「金印」。これは、建武中元二年(五七年)に後漢の光武帝が同地にあった小国家の君主に与えた「漢委奴國王印」と同定されたが、じつは江戸時代の半ばに偽造された真っ赤な偽物だった。では、誰が、何の目的で造ったのか?鑑定人・亀井南冥を中心に、本居宣長、上田秋成など多くの歴史上の文化人の動向を検証し、スリリングに謎を解き明かす。
 
(この項おわり)
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