西暦208年 - 赤壁の戦い

中国の混乱期
赤壁の戦い
後漢末の西暦 208 年(建安 13 年)、華北をほぼ平定した曹操 (そうそう) は、さらに南下し、孫権 (そんけん) 劉備 (りゅうび) の連合軍と揚子江の赤壁(現在の湖北省嘉魚県)で衝突する。赤壁の戦い (せきへきのたたかい) である。
数十万規模に膨れあがった曹操軍は南下を続け、わずか 1 万の劉備軍は孤立した。
だが、中原出身の曹操軍は水軍による戦いに慣れていないことや、急遽編入した水軍は曹操に本心から付き従っているわけではないことを分析した周瑜 (しゅうゆ) は、孫権に開戦を勧めた。
一方、魯粛 (ろしゅく) は劉備に、孫権と同盟することを提案。劉備は諸葛亮 (しょかつりょう) を使者と派遣して孫権と同盟を結ぶ。

孫権と劉備の連合軍は数でこそ曹操軍の 10 分の 1程度であったが、周瑜の部将である黄蓋 (こうがい) は、孫権の船団が密集していることに注目し、火攻めの計で曹操の水軍を全滅させた。
125 175 225 275 325 208 赤壁の戦い 155 220 曹操 220 三国時代はじまる 161 223 劉備 181 234 諸葛亮 182 252 孫権 187 226 曹丕 179 251 司馬懿 236 290 司馬炎 265 晋の成立 290 司馬衷 184 黄巾の乱 140 184 張角 248 卑弥呼が死去 200 248 卑弥呼 226 ササン朝ペルシアの建国 216 277 マニ 220 272 シャープール2世 Tooltip
(この項おわり)
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