西暦208年 - 赤壁の戦い

天下三部の形勢が確立
赤壁の戦い
後漢末の西暦208年、華北をほぼ平定した曹操 (そうそう) は、数十万人の大軍をもって南下し、孫権 (そんけん) 劉備 (りゅうび) の連合軍5万人と揚子江の赤壁(現在の湖北省嘉魚県)で衝突する。赤壁の戦い (せきへきのたたかい) である。
連合軍は火攻めにより曹操の水軍を全滅させることで、これを撃退。以後、曹操は華北を、孫権は江南を、劉備は四川を確保することになり、天下三部の形勢が確立した。
西暦200年、官渡の戦い (かんとのたたかい) で、最大のライバルであった袁紹 (えんしょう) を破った曹操は、それから7年で華北を制圧した。中国全土の統一を目論む曹操は、数十万規模に膨れあがった軍勢をもって南下を続けた。
一方、荊州を拠点にして曹操に抵抗しようとした劉備だったが、統治者の劉琮 (りゅうそう) らが早々に降伏してしまい、手勢は1万に減ってしまった。

曹操から会稽 (かいけい) の太守を任じられていた孫権だったが、中原出身の曹操軍は水軍による戦いに慣れていないことや、急遽編入した水軍は曹操に本心から付き従っているわけではないことを分析した周瑜 (しゅうゆ) は、孫権に開戦を勧めた。
この頃、魯粛 (ろしゅく) 劉備に、孫権と同盟することを提案。劉備諸葛亮 (しょかつりょう) を使者と派遣して孫権と同盟を結ぶ。

孫権と劉備の連合軍は数でこそ曹操軍の10分の1程度であったが、周瑜の部将である黄蓋 (こうがい) は、孫権の船団が密集していることに注目し、火攻めの計で曹操の水軍を全滅させた。

その結果、いままで地盤を持たなかった劉備が荊州南部(四川)で独立した。孫権は江南を支配した。負けた曹操は華北で守りに入った。こうして天下は分かたれ、中国統一は、280年の司馬炎 (しばえん) を待たねばならなかった。

赤壁の戦いの場所

参考書籍

表紙 パリピ孔明 第1巻
著者 四葉 夕卜/小川 亮
出版社 講談社
サイズ コミック
発売日 2020年04月08日
価格 726円(税込)
ISBN 9784065192191
 
表紙 三国志 第26巻
著者 横山光輝
出版社 潮出版社
サイズ コミック
発売日 1981年11月02日頃
価格 460円(税込)
ISBN 9784267901263
 
表紙 三国志・赤壁の戦い
著者 童門冬二
出版社 PHP研究所
サイズ 単行本
発売日 2008年12月
価格 1,320円(税込)
ISBN 9784569704838
 
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