西暦313年 - ミラノ勅令

キリスト教が公認される
イエス・キリスト
現代においては政教分離をかかげる国家が多いが、歴史上、国と宗教は密接にむすびついていた。それは互いに利用しあう関係である。

ローマ帝国内で徐々に勢力を広げたキリスト教は、ディオクレティアヌス帝の時代、政府・軍内部にも教徒が増えていった。
当初、ディオクレティアヌス帝はキリスト教に対しては融和的政策をとっていたが、軍務放棄や官吏への反抗が目立つようになり、さらにキリスト教徒が皇帝崇拝を認めていなかったことがきっかけとなり、303年(元年)、ローマ全土に対してキリスト教徒の改宗を迫り、聖職者全員の逮捕および投獄の勅令を発した。
国家に対し公然と反抗したキリスト教徒は処刑され、その数は全土で数千人を数えたという。また、その報復として、キリスト教徒によって2度にわたり宮殿放火が企てられている。
キリスト教史では、このことを「最後の大迫害」と呼んでいる。

313年(元年)、ローマ帝国の西方帝コンスタンティヌス1世と東方帝リキニウスが連名で、信仰の自由を保障するミラノ勅令を公布する。キリスト教も公認された。
聖墳墓教会
聖墳墓教会
320年(元年)頃、コンスタンティヌス1世の母・聖ヘレナがゴルゴダを巡礼し、キリストが磔になった十字架を発見したとされる。
このことにより、エルサレムはキリスト教の聖地となり、聖墳墓教会が立てられた。
380年(元年)、テオドシウス1世によりキリスト教は国教とされた。

なお、テオドシウス1世は378年(元年)にローマ帝国東方の共同皇帝に任命されるが、392年(元年)から死没する395年(元年)までの間、単独でローマを支配した最後の皇帝となった。テオドシウス1世が死去すると間もなく、ローマ帝国は東西に分裂する。

この時代の世界

225 275 325 375 425 475 313 ミラノ勅令 244 311 ディオクレティアヌス帝 250 325 リキニウス 272 337 コンスタンティヌス1世 325 ニケーア公会議 317 361 コンスタンティヌス2世 381 コンスタンティノープル公会議 347 395 テオドシウス1世 375 ゲルマン民族の大移動はじまる 395 ローマ帝国の分裂 265 晋の成立 236 290 司馬炎 290 司馬衷 276 322 司馬睿 307 365 王義之 304 439 五胡十六国時代 344 405 顧愷之 337 422 法顕 320 チャンドラグプタ1世が即位 290 335 チャンドラグプタ1世 Tooltip
(この項おわり)
header