西暦507年 - 継体天皇が即位

現皇室と血縁が確認されている最古の天皇
継体天皇
507年頃、継体天皇 (けいたいてんのう) が第26代天皇として、河内国(現在の大阪府)樟葉宮 (くすはのみや) で即位したとみられる。現在の皇室と血縁が確認できる最古の天皇とされる。

6世紀初頭、第25代武烈天皇 (ぶれつてんのう) が崩御すると、皇位を継承できる人物がいなくなった。重臣らは第14代仲哀天皇 (ちゅうあいてんのう) から5代目の子孫である倭彦王 (やまとひこおう) に依頼するが断られ、ようやく第15代応神天皇の5世孫にあたる男大迹王 (おとどおう) を越前(福井県)から迎え入れた。これが継体天皇である。
しかし、継体天皇は反対勢力のために河内国にとどまり、即位後19年を経てようやく大和国(現在の奈良県)に入ることができた。都を磐余 (いわれ) に定めた。
当時まだ「天皇」という呼称はなく、「大王 (おおきみ) 」と呼ばれていた。その地位も不安定で、政権を支える豪族の意向に左右された。
継体天皇は前政権との繋がりの証明として、第24代仁賢天皇 (じんけんてんのう) の娘である手白香 (てしらか) 皇女を后に迎えた。

継体天皇の治世は波乱に満ちていた。
朝鮮半島の国々との厳しい外交交渉を強いられ、時には遠征軍を派遣した。
527年には、九州北部で豪族の磐井の反乱が起きた。

継体天皇の墓は、今城塚古墳 (いましろづかこふん) (大阪府高槻市)とされており、現在、発掘調査が進んでいる。

樟葉宮跡伝承地

樟葉宮跡の位置は不明だが、交野天神社の社叢に囲まれた末社貴船神社の鎮座する小丘付近が仮の推定地とされ、小丘の麓に石碑が立っている。昭和46年史跡に指定。

リツイートから

この時代の世界

375 425 475 525 575 625 450 531 継体天皇 507 継体天皇が即位 418 479 雄略天皇 538 仏教伝来 509 571 欽明天皇 540 570 蘇我稲目 538 585 敏達天皇 540 587 物部守屋 547 587 用明天皇 550 592 崇峻天皇 592 崇峻天皇、暗殺 603 冠位十二階 604 十七条憲法 439 南北朝時代(中国)はじまる 541 604 陽堅→文帝 589 隋による中国統一 531 ホスロー1世が即位 530 579 ホスロー1世 451 カタラウヌムの戦い 434 493 オドアケル 486 フランク王国の建国 466 511 クロヴィス1世 476 西ローマ帝国が滅亡 460 536 ロムルス・アウグストゥルス 482 565 ユスティニアヌス1世 500 548 テオドラ 535 クラカタウ火山が大噴火 525 ナスカの地上絵 Tooltip
(この項おわり)
header