西暦618年 - 唐の建国

隋を受け継ぎ世界帝国へ
8世紀前半の唐
中国では、隋が久しぶりに中国統一を果たすが、2 代目皇帝の煬帝 (ようだい) が暴政の据えに暗殺。唐公として封じられていた李淵 (りえん) が煬帝の孫を帝位に就かせ、禅譲という形で皇帝となる。李淵は高祖 (こうそ) と名乗り、唐(618~907)を建国する。

その後を継いだ息子の李世民 (りせいみん) 太宗 (たいそう) )は、租庸調制や官僚制度など隋の制度を引き継ぎ、貞観の治 (じょうがんのち) と呼ばれる諸制度の整備を行い、唐帝国の基礎を築いた。

周辺諸国への影響

唐は隋の制度を受け継いで発展させ、東アジアに君臨する大帝国となる。
この帝国の基礎を築いたのは、3 代目皇帝の太宗の善政(貞観の治)だが、太宗が似たような境遇だった煬帝と違ったのは、よく臣下の進言を聞いたことであった。
太宗の時代、新羅 (しらぎ) と連合して朝鮮半島の百済高句麗 (こうくり) を滅ぼし、中央アジアの西突厥 (とっけつ) を破り、唐は世界帝国として繁栄することになる。

唐の成立と拡大は周辺諸国を刺激し、その政治社会制度を範とした国造りをうながした。
朝鮮半島では新羅が統ーを果たし、日本では大化の改新が起こって天皇中心の体制が生まれている。
チベットにも英主ソンツェン・ガンポが出て、統一と文化の発展がみられた。
インド亜大陸には様々な民族、言語、文化が存在し、また地勢的に分断されやすいので、統一国家をつくるのは難しい。しかし、7 世紀には、ハルシャ・ヴァルダナとプラケーシン 2 世という英傑が現れ、それぞれ北インドとデカン高原に版図を広げた。
もっとも、個人の器量に依存した体制は長続きせず、英傑の死後はまた群雄割拠の状況に戻ってしまう。

この時代の世界

525 575 625 675 618 唐の建国 598 649 太宗 602 661 武烈王 602 664 玄奘三蔵 645 玄奘が唐に帰国 541 604 陽堅→文帝 589 隋による中国統一 569 618 煬帝 566 635 高祖 574 648 孔穎達 574 622 聖徳大使 603 冠位十二階 604 十七条憲法 607 第2回遣隋使 554 628 推古天皇 551 626 蘇我馬子 592 崇峻天皇、暗殺 550 592 崇峻天皇 586 645 蘇我蝦夷 597 654 孝徳天皇 594 661 皇極天皇→斉明天皇 615 645 蘇我入鹿 614 669 中臣鎌足→藤原鎌足 645 大化の改新 581 649 ソンツェン・ガンボ 590 647 ハルシャ・ヴァルダナ 600 642 プラケーシン2世 570 632 ムハンマド 622 ヒジュラ(聖遷) 600 661 アリー 642 ニハーヴァンドの戦い Tooltip
(この項おわり)
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