西暦751年 - タラス河畔の戦い

唐とアッバース朝が衝突
玄宗
751年(天平勝宝3年)、中央アジアのタラス川の近くで、と前年に革命で誕生したイスラームのアッバース朝の軍隊が衝突し、アッバース朝が勝利した。
タラス川は陸のシルクロードの要衝であるが、これは領土拡大を目指すアッバース朝が唐の領土内に侵入したために起きた戦いである。結果として、中国の西の限界を天山山脈に定めることとなった。

ちなみに、このときアッバース朝の捕虜になった中国人の中に紙漉職人がおり、製紙法がイスラム世界に伝わる。
757年(天平勝宝9年)、サマルカンド城内に西方世界初の製紙工場が建設される。ここで作られたサマルカンド紙はイスラム商人によってヨーロッパへ運ばれる。
唐は第6代皇帝、玄宗 (げんそう) の「開元の治 (かいげんのち) 」のもとで未曾有の繁栄を謳歌していた。都の長安には西方から人や物が往来して、異国情緒あふれる文化が花開いていた。
だが、玄宗は晩年、政治に対する関心が薄れ、妃の楊貴妃 (ようきひ) を溺愛するようになった。
そんな中でタラス河畔の戦いは起こった。

同じ頃、農民の没落などで内政が不安定になったため、辺境には政治・軍事の支配権を持つ節度使 (せつどし) を10カ所に配置した。
755年(天平勝宝7年)、節度使の安禄山が安史の乱を起こした。反乱はかろうじて鎮圧されたものの、唐の社会は内向きの変革を余儀なくされる。

この時代の世界

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タラス川付近の地図

(この項おわり)
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