西暦907年 - 唐が滅ぶ

五代十国時代へ
龍門石窟
875年(貞観17年)夏、黄河下流の山東省・河南省一帯で相次いで農民反乱が起こった。イナゴが大発生し飢饉に陥ったところへ、塩の密売商人・黄巣 (こうそう) に率いられた農民が大規模な反乱を起こしたのである。反乱は、瞬く間に四川を除くほぼ中国全土に広がった。
一時、黄巣が帝位につき国を大斉と号したが、内部分裂により884年(元慶8年)には鎮圧された。しかし、唐の権威は失墜する。
黄巣の乱に参加していた節度使 (せつどし) 朱全忠 (しゅぜんちゅう) は、904年(延喜4年)、第22代皇帝・昭宗を殺害し、若い昭宣帝(哀帝)を帝位に就ける。そして、907年(延喜7年)、昭宣帝から禅譲を受けた朱全忠は、国号を梁とあらため、新しい王朝を開いた。

以後、宋が成立する960年(天徳4年)まで、五代十国時代と呼ばれる、5つの短命な王朝が替わり、節度使が10の国を建てて争いあう武断政治による群雄割拠の時代に入る。

この時代の世界

825 875 925 975 907 唐が滅ぶ 875 884 黄巣の乱 840 884 黄巣 852 912 朱全忠 882 954 馮道 877 943 王建→太祖 877 943 王建 901 菅原道真、太宰府へ左遷 845 903 菅原道真 867 931 宇多天皇 871 909 藤原時平 875 935 平国香 885 930 醍醐天皇 880 949 藤原忠平 895 940 藤原玄明 893 941 藤原純友 903 940 平将門 923 952 朱雀天皇 939 承平天慶の乱 935 紀貫之『土佐日記』 866 945 紀貫之 870 934 アブー・アブドゥッラー 909 ファーティマ朝が成立 860 933 ロロ 912 973 オットー1世 937 964 ヨハネス12世 Tooltip
(この項おわり)
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