西暦962年 - 神聖ローマ帝国のはじまり

教皇がフランク王に戴冠
神聖ローマ帝国の紋章
962年(応和2年)2月2日、教皇ヨハネス12世がフランク王オットー1世に、古代ローマ帝国の継承者として戴冠する。ここに神聖ローマ帝国(~1806年)が誕生する。
ザクセン大公ハインリヒの子どもとして産まれたオットー1世は、936年(承平6年)、カール大帝に倣い、戴冠式をアーヘン大聖堂(エクス・ラ・シャペル)で挙行する。そこで塗油の儀を受けることにより、自分がカール大帝の遺志を継ぐ者であることを世に示した。

オットー1世は、当初、近親者による統治を目指していた。しかし相次いで反乱が起きたため、聖職者による統治政策に切り替えることにした。
961年(天徳5年)、イタリアの統治を委せていたベレンガリオとアダルベルトの父子がローマ教皇ヨハネス12世を攻撃した。教皇の救援を受け、オットー1世はベレンガリオ父子を成敗した。

周辺諸国からもその実力を認められたオットー1世は、翌962年(応和2年)、神聖ローマ皇帝となる。
なお、神聖ローマ帝国の国号が正式に用いられるようになったのは、13世紀以降のことである。

ヨーロッパでは、ノルマン人、スラブ人、さらにマジャール人の移動で、民族地図が塗り替えられる。現在のロシアおよび東欧諸国の原形ができたのはこの時代だ。ノルマンディ一家やカペー家など、現在につらなる王家が表舞台に現れたことも注目に値する。
また、ビザンツ皇帝と神聖ローマ皇帝の並立、ギリシア正教とカトリックの勢力争いなど、東西対立のかたちも明確になっていく。
神聖ローマ帝国は19世紀初頭まで続くが、時代や状況とともに体制を変える暖昧な存在であった。

この時代の世界

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(この項おわり)
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