西暦979年 - 宋による中国統一

文治主義の時代
趙匡胤
960 年、節度使 (せつどし) だった趙匡胤 (ちょうきょいん) は、五代十国の最後の王朝、後周 (こうしゅう) の帝位を譲り受け、 (そう) を建国する。国号は宋であるが、金に開封を追われて南遷した後の南宋と区別して北宋と呼ぶこともある。
979 年、2 代皇帝・太宗により五代十国の混乱が収束し、中国は再統一される。
宋は、五代十国時代の武断政治の反省から文治主義を実行した。節度使を順次廃止し、科挙 (かきょ) により積極的に学識者を登用したのである。科挙の最終試験は殿試 (でんし) と呼ばれ、皇帝自身が試験官となるものであった。こうして、皇帝と師弟関係を結び、官僚に対する統制を強め、中央集権体制を確立した。
その一方で、軍事力が弱体化し、宋は周辺諸民族の侵入に苦慮することになる。

中国の再統一は一代で成された事業ではない。まず、五代一の名君と称される後周の柴栄が、軍事と内政の改革をおこない、南征に勝利して基礎を築いた。柴栄が若くして病死すると、軍の支持を受けた越匡胤がクーデターを起こして後を継いだ。越匡胤の政治を助けたのは、後の 2 代皇帝太宗と宰相の趙普であった。

同じころ、朝鮮半島でも分裂から統一へという流れが生じ、王建が高麗を建国している。
825 875 925 975 1025 1075 979 宋による中国統一 927 976 趙匡胤 921 959 紫栄 922 992 趙普 939 997 太宗 939 承平天慶の乱 893 941 藤原純友 903 940 平将門 880 949 藤原忠平 915 989 平貞盛 923 952 朱雀天皇 901 菅原道真、太宰府へ左遷 845 903 菅原道真 871 909 藤原時平 867 931 宇多天皇 875 935 平国香 885 930 醍醐天皇 895 940 藤原玄明 929 990 藤原兼家 953 995 藤原道隆 977 1001 藤原定子 973 1014 紫式部 966 1025 清少納言 980 1011 一条天皇 966 1027 藤原道長 976 1017 三条天皇 1000 彰子が中宮に 978 1030 和泉式部 1018 藤原道長の絶頂期 934 1025 フェルドウスィー 971 1030 マフムード 1010 「シャー・ナーメ」完成 962 神聖ローマ帝国のはじまり 912 973 オットー1世 937 964 ヨハネス12世 987 フランス王国の成立 940 996 ユーグ・カペー 967 987 ルイ5世 958 1025 パシレイオス2世 Tooltip
(この項おわり)
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