西暦1127年 - 南宋の建国

北方民族の侵入で北宋が滅ぶ
南宋・金
11 世紀末、中国東北部で女真族 (じょしんぞく) が建国した金が台頭してきた。

金は宋と手を組んで北方の (りょう) 契丹 (きったん) )を滅ぼす。
しかし、その後両者は対立し、1127 年には金が宋の首都である開封を占領し、宋(北宋)が滅びる。
このとき、皇帝の弟である高宗が臨安 (りんあん) (現在の杭州 (こうしゅう) )を首都とする南宋 (なんそう) を建国する。
金と江南に逃れた南宋が、淮河をはさんでにらみ合う状況となった。
南宋の時代、ヴェトナムから導入した米の新品種により二毛作・二期作を実現するとともに、羅針盤を備えた外洋船で海上貿易も栄えた。こうして豊かになった南宋は、その財力によって辛うじて北方民族の侵入を防いでいた。
南宋では対金政策をめぐって議論が起こったが、和平派が勝利して、多額の貢納と引き替えに和約が結ばれた。

また、朱熹 (しゅき) が儒学を整理し、朱子学を創始する。
朱子学は「万物の根源は理と気にある」という世界観のもと、四書(「大学」「中庸」「論語」「孟子」)を重視した。朱子学は鎌倉時代の日本に伝わり、武士に受け入れられ、江戸時代には幕府の正式な学問となる。
朱熹は科挙官僚だったが、仕事を嫌い、名目上の職について学問に没頭することを望んだ。
たいへん身勝手な男で、学説と行動は必ずしも一致しないものである。
なお、北宋滅亡に先だって、契丹族の遼も滅んでいる。
遼の皇族だった耶律大石 (やりつたいせき) は、西へ逃れて西遼を建て、セルジューク朝を破って、中央アジアに覇権を築いた。

この時代の世界

1025 1075 1125 1175 1225 1275 1127 南宋の建国 1130 1200 朱熹(朱子) 1048 1085 神宗 1070 王安石の改革 1087 1143 耶律大石 1103 1142 岳飛 1206 モンゴル帝国の成立 1167 1227 チンギス・ハン 1113 1150 スーリヤヴァルマン2世の治世 1181 ジャヤーヴァルマン7世が即位 1125 1218 ジャヤーヴァルマン7世 1096 十字軍遠征はじまる 1100 1124 ハサン・サッバーフ 1138 1193 サラーフ・アッディーン 1086 1125 ハインリヒ5世 1125 1190 フリードリヒ1世 1157 1199 リチャード1世 1182 ノートルダム大聖堂の完成 1167 1216 ジョン 1215 大憲章(マグナ・カルタ) 1086 院政のはじまり 1053 1129 白河天皇 1103 1156 鳥羽天皇 1097 1164 藤原忠通 1106 1160 信西 1120 1156 藤原頼長 1117 1160 美福門院 1123 1160 源義朝 1119 1164 崇徳天皇 1159 平治の乱 1167 音戸の瀬戸の開削 Tooltip
(この項おわり)
header