西暦1156年 - 保元の乱

武士の台頭
保元・平治合戦図屏風
1156年(保元元年)7月、崇徳上皇 (すとくじょうこう) (第75代天皇)と弟の後白河天皇 (ごしらかわてんのう) (第77代天皇)との間に皇位継承に関する対立が起こった。これに藤原頼長 (ふじわらのよりなが) と兄の藤原忠通 (ふじわらのただみち) (摂政・関白)との家督争いが絡み、保元の乱 (ほうげんのらん) に発展する。

崇徳・頼長側は源為義 (みなもとのためよし) 平忠正 (たいらのただまさ) を、後白河・忠通側は源義朝 (みなもとのよしとも) 平清盛らの武士団を招じ入れ、京都における内乱に発展した。その結果、崇徳上皇方が敗北し、上皇は讃岐に流され、頼長は戦死した。

この乱を境に、源氏や平氏といった武家が台頭するようになる。
保元の乱 対立図
1141年(永治元年)12月7日、鳥羽法皇 (とばほうおう) (第74代天皇)は崇徳天皇を退位させ、藤原得子(美福門院)との子を即位させた。近衛天皇 (このえてんのう) (第76代天皇)である。
一方、摂関家の藤原忠通 (ふじわらのただざね) は男子に恵まれず、弟の藤原頼長 (ふじわらのよりなが) を養子に迎いいれた。ところが、1143年(康治2年)、忠通に嫡男が生まれると、この養子縁組を破棄した。
二人の父、忠実 (ただざね) は関白の兄・忠通を嫌い、才能溢れた弟の頼長を偏愛しており、頼長を内覧に推挙する。
内覧となった頼長は旧儀復興・綱紀粛正に取り組んだが、その苛烈で妥協を知らない性格により悪左府 (あくさふ) と呼ばれ、貴族たちとの軋轢を生む。

1155年(久寿2年)7月24日、近衛天皇が崩御する。
美福門院と忠通は、崇徳上皇の院政を阻止するため、美福門院の養子・守仁親王を天皇として擁立するよう、鳥羽法皇にに奏上する。守仁親王は幼かったので、中継ぎとして雅仁親王が即位した。後白河天皇 (ごしらかわてんのう) (第77代天皇)である。

1156年(保元元年)7月、鳥羽法皇が崩御する。鳥羽法皇の権威を借りて体制を固めつつあった美福門院・忠通側は焦り、崇徳上皇と頼長が謀反を起こしたという風聞を流し、後白河天皇の勅命・綸旨を出して一味を捕らえようとした。
崇徳上皇は辛うじて脱出し、7月10日、頼長は挙兵・上洛する。
これに対して後白河・守仁陣営も、平清盛 (たいらのきよもり) をはじめとする武士を召集し、7月11日、崇徳・頼長軍を迎え撃った。
正午ころには崇徳・頼長軍の敗北が確定的なものとなり、崇徳上皇は讃岐に配流され、頼長は合戦時に受けた傷のために死亡した。

後白河・守仁陣営は反対派の排除に成功したが、平清盛ら武家の台頭を許す結果にもなった。
また、摂関家に対する処分も厳しく、忠通は関白の地位こそ維持したものの、配下の武士とともに多くの荘園を失った。

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(この項おわり)
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