西暦1181年 - ジャヤーヴァルマン7世が即位

クメール朝の最盛期
ジャヤーヴァルマン7世
ジャヤーヴァルマン7世は、チャンパ王国によって占領されていたカンボジア・クメール王朝の首都アンコール・トムを解放し、1181年(治承5年)に即位する。

即位後、チャンパの破壊で荒廃した首都の再建に取り掛かった。再度のチャンパ王国の襲来に備えて防衛に重点が置かれ、新たに建設された首都アンコール・トムには高さ約8メートルの城壁と幅約100メートルの外濠が設けられた。
1190年(文治6年)に再度カンボジアに侵入したチャンパを撃退し、逆にチャンパ王国の首都ヴィジャヤを占領する。
ジャヤーヴァルマン7世は内政にも手腕を発揮し、クメール王朝の最盛期をもたらした。
やがて仏教に傾倒するあまり、民衆に寺院造築のための重税を課し恨まれることになる。

1218年(建保5年)、クメールは南宋の朝廷に使節を派遣するが、ジャヤーヴァルマン7世は死没し、クメール王朝の衰退が始まる。
西部に居住するタイ人の台頭によってアンコールを中心とした水陸のネットワークは崩壊する。

この時代の世界

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(この項おわり)
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