西暦1232年 - 御成敗式目

成文化された法の制定
北条泰時
1232 年(貞永元年)、御成敗式目が制定された。

鎌倉幕府成立の当時には成文法が存在しなかった。承久の乱ののち、武士の所領関係の訴訟,特に地頭と領家の貴族社寺との争いが激増したため、成文化された法の制定が求められた。
そこで、執権の北条泰時 (ほうじょうやすとき) を中心に、法理に明るい太田康連 (おおたやすつら) らが加わり、武家社会の慣習法や源頼朝以来の幕府の先例を軸に,裁判の規準とすべきものをまとめて,武士に周知徹底させ,犯罪を未然に防止し裁判を公平かつ迅速に行わせる目的に御成敗式目が制定された。
1125 1175 1225 1275 1325 1232 御成敗式目 1183 1242 北条泰時 1221 承久の乱 1180 1239 後鳥羽天皇 1219 源実朝の暗殺 1192 源頼朝、征夷大将軍に任官 1181 ジャヤーヴァルマン7世が即位 1181 1218 ジャヤーヴァルマン7世 1206 モンゴル帝国の成立 1190 1244 耶律楚材 1241 ワールシュタットの戦い 1186 1241 オゴタイ 1243 キプチャク汗国の成立 1209 1259 モンケ 1215 1294 フビライ 1167 1216 ジョン 1215 大憲章(マグナ・カルタ) 1181 1252 プラノ・カルピニ 1194 1250 フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝) 1225 1274 トマス・アキナス 1209 ケンブリッジ大学の創設 1214 1270 ルイ9世 1218 1291 ルドルフ1世 1200 1250 トゥーラーン・シャー 1260 イル汗国の成立 1218 1265 フラグ 1250 マンスーラの戦い Tooltip
(この項おわり)
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