西暦1279年 - ラームカムヘーンが即位

タイ・スコータイ王朝の最盛期
ラームカムヘーン
ラームカムヘーン
タイ・スコータイ王朝の建国者シーインタラーティットの第三子として生まれたラームカムヘーンは、兄バーンムアンの在位中は副王の地位に就き、1279年(弘安2年)にバーンムアンが没すると即位した。

ラームカムヘーンは国民全体の生活に気を配り、国民は民族に関係無く利益を享受したという。
また、マレー半島やカンボジアに領土を広げ、スコータイ朝の最盛期を現出させた。
タイ文字を制定するなど、文化面の功績も大きい。
タイ史上最高の王(タイ三大王)の1人に数えられ、大王(マハーラート)の尊称で呼ばれる

スコータイ朝

スコータイ遺跡
スコータイ遺跡
タイ族は四川や雲南から南下し、13世紀頃までクメール王朝の支配下にあった。ジャヤーヴァルマン7世が死去すると、領主のバーンクラーンハーオがクメール人勢力を追い出し、1257年(康元2年)頃、スコータイを都としてスコータイ王朝を起こし、シーインタラーティットとして即位した。タイ族最初の王朝とされる。スコータイ王朝の領域は、現在のタイ北部の南半分である。
スコータイ遺跡
スコータイ遺跡
スコータイ王朝はタイ仏教の黄金期で、歴代王はポークン(個人的な友情で治める君主、人民を保護し、悪を適切に廃する父親のような人)と呼ばれた。

この時代の世界

1200 1225 1250 1275 1300 1325 1350 1279 ラームカムヘーンが即位 1239 1299 ラームカムヘーン 1271 元の建国 1215 1294 フビライ 1254 1324 マルコ・ポーロ 1241 ワールシュタットの戦い 1243 キプチャク汗国の成立 1260 イル汗国の成立 1250 マンスーラの戦い 1223 1277 バイバルス 1243 キプチャク汗国の成立 1260 イル汗国の成立 1234 1282 アバカ 1249 1318 ラシード・アッディーン 1299 オスマン帝国の成立 1324 マンサ・ムーサのメッカ巡礼 1222 1282 日蓮 1239 1289 一遍 1251 1284 北条時宗 1274 文永の役 1281 弘安の役 1252 鎌倉大仏の建立始まる 1254 1324 マルコ・ポーロ 1241 ワールシュタットの戦い 1214 1270 ルイ9世 1214 1294 ロジャー・ベーコン 1273 ルドルフ1世の即位 1218 1291 ルドルフ1世 1235 1303 ボニファティウス8世 1265 1274 『神学大全』の執筆 1225 1274 トマス・アキナス 1298 「東方見聞録」出版 1254 1324 マルコ・ポーロ 1303 アナーニ事件 1325 アステカの首都テノチティトラン建設 1312 1337 マンサ・ムーサ Tooltip
(この項おわり)
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