西暦1325年 - アステカの首都テノチティトラン建設

最盛期の人口は約30万人
テノチティトラン
アステカ人はウィツィロポチトリの神託に従い、テスココ湖を干拓し、2つの島の上にテノチティトラン(Tenochtitlan)を築いた。1521年、スペイン人のコルテスによって滅ぼされるまで、アステカ帝国の首都だった。
現在のメキシコ市はテノチティトランの上に建築されており、市の中心のソカロ(憲法広場)はテノチティトランの広場だったところ。現在の建物の地下にはアステカ王国時代の建物の遺構が横たわっている。
この巨大な「湖上都市」は、大神殿・宮殿・貴族の邸宅のある区画を中心として東西南北が4つの街区(バリオ)に整然と区分されており、町の住居は水路に面していて、どの家もカヌーを持ち、水路が利用されていた。
1375年、アカマピチトリが国王に即位し、アステカ帝国が誕生する。

アステカ帝国の発展に伴って、テノチティトランはメソアメリカで最大の都市となった。テノチティトランの交易圏は、メキシコ湾沿岸、太平洋沿岸、またおそらくはインカ帝国まで及んだ。

面積は13km2ほどで、最盛期の人口は20~30万いたと推定されている。コルテスが征服した当時、ヨーロッパで10万を超える都市はパリ、ナポリ、ヴェネツィア、ミラノしかなかった。

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(この項おわり)
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