西暦1370年 - ティムール帝国の成立

チンギス・ハンの子孫を自称
ティムール
ティムール
中央アジアのチャガタイ・ハン国を滅ぼしたティムールは、1370年、サマルカンドを首都とするティムール帝国(1370~1507年)を建国する。
ティムールは、旧イル・ハン国の領土を併合し、さらに西へ進み、1402年、アンカラの戦いでオスマン帝国を退け、1405年、明への遠征途上で死没する。

チンギス・ハンの子孫を自称するティムールは、一族の間に領土を分封し、ときの実力者が王位を継承するという遊牧民族の伝統を受け継ぎつつ、イスラム教の学者ウラマーを官僚として登用した。
ティムール帝国の最大版図
ティムール帝国の最大版図
トルコ=モンゴル系遊牧民族の軍事力と、イラン系定住民族の経済力に支えられ、帝国は版図を拡大した。
ティムールは、すでに死去していた長男ジャハーンギールの息子ピール・ムハンマド・ジャハーンギールを後継者に指名していたが、力が弱く、1409年、ティムールの四男シャー・ルフが3代目の君主となった。
細密画「ユースフの誘惑」(1488年)
細密画「ユースフの誘惑」(1488年)
シャー・ルフの治世は40年近く続き、明との外交が樹立された。永楽帝の命を受けた鄭和 (ていわ) が、三度、ホルムズを訪れている。

サマルカンドやヘラートなどでは、小型で技巧的な細密画(ミニアチュール)やペルシア文学に携わる文人や画家が集まり、宮廷文化が栄えた。
シャー・ルフは、息子のウルグ・ベクにサマルカンドの支配を任せた。天文学者であり数学者だったウルグ・ベクはサマルカンドに天文台を建設し、恒星の観測結果などを整理し、1440年頃、天文表を発行した。これは、100年後、ティコ・ブラーエが観測を行うまで最も精度の高いものだった。

この時代の世界

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(この項おわり)
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