西暦1467年 - 応仁の乱はじまる

室町時代から戦国時代へ移行

人の世むな (1467) しい応仁の乱

室町幕府の有力大名である@山名宗全@やまなそうぜん@(持豊)(西軍)と細川勝元 (ほそかわかつもと) (東軍)が、8 代将軍・足利義政の跡継ぎをめぐって対立を深めたことから、1467 年(応仁 1 年)、応仁の乱がはじまる。
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義政には実子が無く、弟の義視 (よしみ) を跡継ぎに決めた。ところが翌年、正妻の日野富子 (ひのとみこ) 義尚 (よしひさ) を産んだ。このため、義視の後見人である細川勝元と、義尚を推す山名宗全の対立が激化した。さらに、三管領の斯波氏 (しばし) 畠山氏 (はたけやまし) の内部で発生した相続争いを巻き込んで、戦渦が広がった。
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戦は 11 年間続いたが、山名宗全が亡くなったことにより、東軍の勝利ということでいちおうの終結をみる。しかし、地方での戦いは果てしなく続いた。
京都は荒れ果て、室町幕府の支配力は低下し、以降100 年間に及ぶ戦国時代へ移行してゆく。
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公家や僧侶は京都を離れ地方に逃れたため、京の文化が地方に伝わった。
ちなみに、西陣織で有名な京都西陣は、西軍の山名宗全の本陣が置かれたことに由来する。
YEAR
1380
1405
1430
1455
1480
1505
 
1419
後花園天皇
1470
 
1442
後土御門天皇
1500
応仁の乱
1467
 
1477
 
1435
足利義政
1490
 
1411
日野重子
1463
 
1440
日野富子
1496
 
1404
山名宗全
1473
 
1430
細川勝元
1473
 
1419
後花園天皇
1470
 
1420
雪舟
1506
 
1394
一休
1481
 
1415
蓮如
1499
(この項おわり)
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