西暦1488年 - 喜望峰の発見

アジアへの交易路を求めて
喜望峰に到達したディアス
1486年(文明18年)、ポルトガル国王ジョアン2世は、アジアに至る交易路確立のためのアフリカ周回航海の遠征隊長にバーソロミュー・ディアスを任命した。
この航海には、エチオピア方面にあると言われるキリスト教徒の王(プレスター・ジョン)の国を探し、ポルトガルとの友好関係を樹立するという目的もあった。
1487年(文明19年)8月、ディアスは50トン級の3隻の船を率いてリスボンを出港する。アフリカ西岸に沿って南下するが、1488年(長享2年)、嵐にあって2週間近く漂流をする。
嵐が収まると、アフリカ最南端に到達していたことが分かり、その場所を「嵐の岬」と名付けた。後にポルトガル王ジョアン2世によって「喜望峰 (きぼうほう) 」と改名されることになる。
インド洋に侵入したポルトガルの戦略目標は、香辛料貿易の主導権をムスリムの手から奪取することにあった。

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(この項おわり)
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