西暦1517年 - 95ヶ条の論題

宗教改革はじまる
マルティン・ルター
マルティン・ルター
メディチ家出身で派手好きの教皇レオ10世(ジョヴァンニ・デ・メディチ)は、サン・ピエトロ大聖堂を改築する資金集めのために、それを買えば善行を積んだことになるという贖宥状 (しょくゆうじょう) (免罪符)を発売した。

ドイツの神学者のマルティン・ルターはこのやり方に反対し、1517年10月31日、ヴィッテンベルク協会の門扉に贖宥状の無効性を訴えた「95ヶ条の論題」を張り出す。ルターの主張は、信仰によってのみ人間は救済されるという内容である。
レオ10世
レオ10世
当初、教皇側は穏便に事態を収束させようと考えていたが、ルターの主張は多くの民衆の支持を得て、ついに教皇権までを否定するようになる。
1520年12月、レオ10世はルターに自説の撤回を呼びかけるが、ルターはこれを拒絶し、翌1521年1月3日に破門される。
ワルトブルグ城
ワルトブルグ城
カトリック教会から破門されたルターは、ザクセン公フリードリヒのワルトブルグ城にかくまわれる。ここでルターは聖書をドイツ語に翻訳し、聖書によりどころを求める新しいキリスト教(プロテスタント)を創始した。
ヘンリ8世
ヘンリ8世
当時のカトリック世界は、ボルジア家やメディチ家に代表されるように、東方貿易で巨万の富を手に入れ、強引な重商主義政策を進めていた。
次第に貧富の差が大きくなり、貧しい者はカトリックに替わる救済を求めていた。そこに登場したのがルターだった。

旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)の対立は深まり、やがてヨーロッパは三十年戦争という泥沼にはまってゆくことになる。

イングランドでは、へンリー8世がローマ教会から独立し、エリザベス1世が国教会制度を確立させて、国王が教会のトップを兼ねる独自の制度が発展する。
ルターは当初、旧約聖書の預言がイエスを指し示していることをユダヤ人に説き、キリスト教に改宗することを求めた。
しかし、これが難しいとわかると、1543年、『ユダヤ人と彼らのうそについて』を出版し、手のひらを返したかのように、ユダヤ人の旧約聖書解釈は間違っているという批判を展開。ユダヤ人を「下劣な偶像崇拝者」などと述べた。
後年、ナチス・ドイツはユダヤ人弾圧を進めるにあたり、これらルターの著作を引用した。
ルターの主張の普及に役立ったのが、グーテンベルクの活版印刷であった。
規格を決めて容易に交換できる金属活字を作ったこと、焼アマニ油の印刷インキを使ったこと、ブドウ絞り器にヒントを得たプレス機械で印刷したことなどより大量印刷を可能とし、写本の20分の1の価格で販売することができたという。

カトリックの内部にも信仰を見直す機運が生じ、その流れから海外布教の動きが出てくる。イエズス会のザビエルが布教に訪れたとき、日本は戦国時代を迎えていた。キリスト教とともに持ちこまれた鉄砲は、天下統一の戦いに重要な役割を果たす。

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