西暦1524年 - ドイツ農民戦争

農民は敗北し、ドイツの分裂は不可避に
ドイツ農民戦争
1524年(大永4年)にドイツ中部・南部で農民が起こした大規模な反乱「農民戦争」は、1517年(永正14年)のマルティン・ルターが張り出した『95ヶ条の論題』を受けたものだった。

ローマ教皇と神聖ローマ皇帝に反発する諸侯が騎士戦争という反乱を起こし、教会や諸侯の抑圧に苦しんでいた農民も立ち上がり農民戦争を起こしたのであった。
テューリンゲン地方の中核都市ミュールハウザンでは、ルターの宗教改革運動に関わった聖職者のトーマス・ミュンツァーが農民戦争を指揮した。
ミュンツァーは、次第にルターの考え方から離れ、「地上における神の国」の実現を求めるようになった。反乱軍は6千人に膨れあがり、諸侯の城塞や教会を襲撃した。
ルターはミュンツァーを非難し、諸侯軍を支援し、1525年(大永5年)5月に反乱軍を鎮圧した。ミュンツァーは捕らえられ、拷問のうえ処刑された。

結局、ドイツの民戦争は10万人あまりの農民が虐殺され終わった。農民は濃度として抑圧され、南ドイツではカトリックが主流になった。
勝利した諸侯は勢力を強め、各地で群雄割拠の状態となり、ドイツの分裂は避けようがなかった。

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(この項おわり)
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