西暦1571年 - レパントの海戦

スペインの盛衰
レパントの海戦
レパントの海戦
フェリペ2世
フェリペ2世
1571年、スペイン王国(ハプスブルク家)のフェリペ2世は、レパントの海戦オスマン帝国を破る。この海戦には「ドン・キホーテ」の作者であるセルバンテスが従軍し、負傷している。
フェリペ2世は、1580年、王室の血統が途絶えたポルトガルを併合し、東方貿易と新大陸の銀を独占する。これによりスペインは海外の植民地の多くを掌握するという最盛期を迎え、「太陽の沈まぬ国」と呼ばれた。ちなみに、フィリピンの名前はフェリペに由来する。
セリム2世
セリム2世
1570年、オスマン帝国のセリム2世はキプロスに遠征した。ヴェネツィア共和国は防衛のためにカトリック教国の艦隊結集を呼びかけるが、スペインが消極的だったため、1571年8月、キプロスは陥落しオスマン帝国領になってしまった。
スペインは、危機感を抱いたローマ教皇ピウス5世の呼びかけに応じ、神聖同盟が結成された。
1571年10月7日、神聖同盟の連合艦隊278隻と、オスマン帝国艦隊224隻は、ギリシャのコリント湾口のレパント沖で衝突する。
レパントの海戦
レパントの海戦
両軍ともガレー船が中心で、連合艦隊はイスラム教徒の奴隷が、おるまん帝国艦隊はキリスト教徒の奴隷が漕いでいた。大砲は実用化されており、弓矢ではなく砲撃によって戦闘が始まったと考えている。
開戦から間もなくして、艦隊船では珍しく旗艦同士の戦闘が起き、オスマン帝国艦隊を指揮してアリ・パシャが戦死。一気に士気が低下。開戦から1時間半ほどで決着がついてしまった。
しかし、戦後処理で神聖同盟の足並みが揃わず、キプロスの奪還も暗礁に乗り上げる。
スペインは戦費調達のために重税を課し、毛織物工業が衰退。1568年にはネーデルラント独立戦争が勃発し、1581年にオランダが独立してしまう。
さらに、1588年、エリザベス1世が統治するイギリスによってスペインの無敵艦隊が破られ、海上支配が揺らぐようになる。
一方のオスマン帝国は、半年後に艦隊の再建を完了し、地中海東側の制海権を維持した。

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