西暦1649年 - ピューリタン革命

イギリスの宗教革命
オリバー・クロムウェル
オリバー・クロムウェル
テューダー朝のエリザベス1世が没すると、1603年、スコットランド王がジェームズ1世として即位した。ステュアート朝のはじまりである。
一方、三十年戦争の影響を受け、イギリスのプロテスタントであるピューリタン(清教徒)が市民層に広がっていた。
ところがジェームズ1世は王権神授説 (おうけんしんじゅせつ) を唱え、ピューリタンと議会を無視する。議会は「大抗議」を提出して対抗する。

ピリグリム・ファーザーズが新大陸を目指したのは、この頃である。
次のチャールズ1世(在位1625~49年)の時代には、議会は「権利の請願」を提出し、課税には議会の承認を得ることを求められる。また、スコットランドでは反乱が起きる。
チャールズ1世は国教統一を目指しピューリタンを弾圧したため、クロムウェル(Oliver Cromwell)が指導する独立派がピューリタン革命(清教徒革命)を起こす。そして、1649年に国王チャールズ1世を処刑する。

ピューリタン革命は市民革命と呼ぶには不十分で、イギリスの宗教改革が不徹底なために起きた一種の宗教革命とみていいだろう。

国王の処刑後、クロムウェルはブルジョワジーの利益を最優先した政策を進めたため、革命に協力した底辺層の市民(水平派)はかえって弾圧を受けることとなる。
また、クロムウェルは、一切の娯楽を禁じる極端なピューリタニズム(清教徒主義)をとったため、市民の反発を受け、1660年にフランスに亡命中のチャールズ2世が受け入れられ王政復古を果たす。

イギリス市民革命の流れ

  1. ステュアート朝の成立
  2. ピューリタン革命
  3. クロムウェルの独裁
  4. 王政復古
  5. 名誉革命
  6. ハノーバー朝の成立

この時代の世界

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(この項おわり)
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