西暦1689年 - ネルチンスク条約

清と欧州の間に結ばれた対等条約
康熙帝
清朝では、1661年、順治帝 (じゅんちてい) の第3子として生まれた康熙帝 (こうきてい) が8歳で即位した。中国市場最高の名君とされる。
重臣4人による合議制だったが、15歳の時に親政を始める。

1689年、三藩の乱を治め、台湾を制圧した。
同じ年、ピョートル1世時代ののロシア帝国と対立するが、ネルチンスク条約を締結する。
1720年、外交によってチベットの内乱を治めた。

康熙帝は自ら倹約に努め、使用人を1万人から数百人まで減らし、明代に1日で使った費用を1年間の宮廷費用としたと言われる。税制は潤い、減税も行った。
また、『康熙字典』、『大清会典』、『歴代題画』、『全唐詩』、『佩文韻府』などを編纂させた。
清朝は康照帝のもとで飛躍をとげる。薙正帝、乾隆帝とつづいた名君の治世は、未曾有の盛期であると同時に、ヨーロッパの圧力を感じはじめる時期でもあった。
ネルチンスク条約は、清とロシア帝国の満州における国境を黒竜江・外興安嶺(スタノヴォイ山脈)の線に定めるというもので、清とヨーロッパ国家との間に結ばれた初めての対等条約である。

対等条約ではあったが、ロシアは悲願である不凍港の確保に失敗し、摂政ソフィア・アレクセーエヴナの信用を失墜させた。ソフィアは修道院に幽閉された。ピョートルの母ナタリヤ・ナルイシキナが実権を回復し、1694年に死去するまで国政を運営した。その後、ピョートル1世が親政を開始する。

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ネルチンスクの位置

(この項おわり)
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