西暦1716年 - 享保の改革がはじまる

徳川8代将軍・吉宗が就任
徳川吉宗
1716年、徳川吉宗 (とくがわよしむね) が徳川幕府8代将軍に就任した。

5代将軍・綱吉以来、傾いた幕府の財政を立て直すため、吉宗は、質素倹約を勧め、贅沢な暮らしを取り締まった。これが享保の改革である。
吉宗は新田開発を推し進める一方、大名に1万石について100石の米を差し出させる「上米 (あげまい) 」を行い、税収を安定させた。

また、目安箱 (めやすばこ) を設置し、町人や百姓などの要望や不満に将軍が目を通すという形をとった。その結果、貧民の窮状を救うための小石川養生所が設立されたり、江戸の防火を担う町火消しが整備された。

しかし、財政再建や物価対策を急ぐあまり幕政は混乱し、とくに1728年に年貢を引き上げたことから、農民への負担が増加した。結果的に人口増加にブレーキがかかり、一揆が増えた。1745年、吉宗が大御所に退き、家重が9代将軍となった時点をもって、享保の改革は終了したとされる。

江戸時代の三大改革

改 革 享保の改革 寛政の改革 天保の改革
年 代 1716~1745年 1787~1793年 1841~1843年
将 軍 8代・吉宗 11代・家斉 12代・家慶
主導者 将軍・徳川吉宗 老中・松平定信 老中・水野忠邦
契機 5代・綱吉の時代からの財政悪化の改善 田沼時代の行き過ぎた重商主義の反省と天明の大飢饉対策 天保の大飢饉や大塩平八郎の乱などによる幕藩体制の弱体化を防ぐ
主な改革 新田開発
目安箱
上げ米の制
棄捐令
朱子学の奨励
囲米の制
流通統制
株仲間の解散
人返し令

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