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オーストリア継承戦争の終結後、オーストリア国王マリア・テレジアは娘のマリー・アントワネットをルイ 16 世に嫁がせ、ブルボン朝との対立を解消した(外交革命)。 そして、失われたシュレジエン地方を奪回しようと、1756 年、プロイセンとの間に七年戦争を起こす。プロイセンはイギリスと結び、結局オーストリアが敗北する。 1763 年のフベルトゥスブルク講和条約によってシュレジエン地方がプロイセン領と確定する。 七年戦争は、フランスとイギリスの植民地戦争の側面もあった。 フランスは、ムガル帝国に進出したイギリスに対し、1757 年のプラッシーの戦いで敗れる。 また、1755 年に北米ではじまったフレンチ・インディアン戦争でもイギリスに敗れる。 こうして、1763 年にパリで開かれた講和条約では、イギリスは北米植民地とインドの支配権を獲得する。 |
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(この項おわり)
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2009年11月27日 作成
2009年11月27日 更新
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