西暦1774年 - 質量保存の法則の発見

化学の父ラヴォアジェ
ラヴォアジェ
フランスの科学者ラヴォアジェは、1774年、精密な定量実験を行い、化学反応の前後では質量が変化しないという「質量保存の法則」を発見した。

当時、燃焼の際には、燃えた物質に含まれているフロギストンが空気中に出ていくという説が支配的であった。しかしラヴォアジェは、1777年、燃焼とは物質と酸素が結合することであることを解明した。
また、1785年には気球で必要になっていた水素を取り出すために、水の電気分解を行った。
これらの功績から、ラヴォアジェは「化学の父」と呼ばれている。
1789年、ラヴォアジエは『化学原論』を出版し、現在の元素に相当する33の単一物質のリストを提示した。そこにはカロリック(熱素)が含まれていたが、質量保存の法則や化学実験の手順に関する解説もあり、その後の10年間、ヨーロッパ全土で教科書として利用された。

この年の7月、フランス革命が勃発した。
1791年、フランス国王ルイ16世はラヴォアジエを国家財政委員に任命した。彼は、金融・徴税制度を改革しようとした。しかし、フランス革命の進行に危機感を抱いたラヴォアジエは、それから1年あまりで、政府関係の職をすべて退いた。
1793年11月、革命政府は徴税請負人を指名手配し、ラヴォアジエは自首したが、徴税請負人の娘と結婚していたことなどを理由に投獄されてしまった。
1794年5月、革命裁判所はラヴォアジエに死刑を言い渡した。弁護人はラヴォアジエの科学的業績を挙げたが、裁判長は「共和国に科学者は不要である」と宣言し、その日のうちにコンコルド広場にあるギロチンで処刑された。
ラヴォアジェは死の間際まで科学者としての実験精神を忘れず、処刑後の人に意識があるのかを検証するため、周囲の人々に「斬首後、可能な限り瞬きを続ける」と宣言したという。

ラヴォアジエとともにメートル法の制定に取り組んだラグランジュは、ラヴォアジエ死刑の報を受けて、「彼の頭を切り落とすのは一瞬だが、彼と同じ頭脳を持つものが現れるには100年かかるだろう」と嘆いた。
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(この項おわり)
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