西暦1792年 - 大黒屋光太夫がロシア女帝に謁見

日露外交の始まり
寛政 4 年 9 月 3 日(1792 年 10 月 7 日)、伊勢の船頭だった大黒屋光太夫 (だいくやこうだゆう) が帝政ロシアの女帝エカチェリーナ 2 世に謁見する。

アムチトカ島の位置

天明 2 年(1782 年)12 月 13 日、光太夫を含む 17 人の船員が乗り込んだ千石船は、紀州藩の米を積み、伊勢国白子の浦から江戸へ向かい出航した。ところが駿河沖付近で嵐に遭遇、そのまま 7 ヶ月あまりにわたって漂流し、アリューシャン列島の 1 つであるアムチトカ島へと漂着する。
ラッコの毛皮を求めて来て遭難していたロシアの商人らと協力して船を造り、天明 7 年(1787 年)7 月 18 日、一行はアムチトカ島を脱出。36 日かけてベーリング海を渡り、カムチャツカ半島に到着した。さらに寛政元年(1789 年)2 月 17 日、シベリア州都イルクーツクに到着する。極寒の中の行軍の末、光太夫の仲間は 6 人に減っていた。

当時ロシアは南下政策を進めていたが、アジア側は清に阻まれてままならなかった。そこで、日本と結んで太平洋へ出ようと考えていた。そこで、ロシア領内に漂着した日本人をとらえて日本語教師にしていた。
光太夫らも日本語教師になる運命にあったのだが、それでも諦めず、ロシア帝室科学アカデミー会員のキリル・ラクスマンに同行し、帝都ペテルブルクへ向かった。

イギリスやオランダは光太夫の存在を知り、光太夫を日本へ帰す見返りに、鎖国中の日本と接触しようと目論んでいた。
先手を打つべく、ロシア帝国は光太夫のエカチェリーナ 2 世への謁見を認め、寛政 4 年 9 月 3 日(1792 年 10 月 7 日)、ヨーロッパのマナーにしたがって光太夫は女帝に謁見。自分の置かれている立場を流暢なロシア語で女帝に伝えた。
9 月 13 日、エカチェリーナ 2 世のなで光太夫の送還命令書が出された。
イルクーツクの仲間と合流した光太夫は日本へ向けて出発し、寛政 4 年 10 月 7 日(1792 年 10 月 7 日)、ついに帰国した。

寛政 5 年(1793 年)6 月 21 日、松前藩の屋敷で史上初の日露交渉が行われた。ロシア施設の代表は、ラクスマンの息子アダム・ラクスマン。光太夫は通訳として臨んだ。
この時、幕府は、ロシアとの交渉に応じる用意があるとして、長崎への入港許可を与えた。

その後、光太夫は江戸・小石川の薬草園に住居を与えられ、11 代将軍・徳川家斉 (とくがわいえなり) や老中の松平定信 (まつだいらさだのぶ) の聴取を受けた。
光太夫は、ロシアの進出によって北方情勢が緊迫していることを伝え、幕府も樺太や千島列島に対し影響力を強めていくようになる。また、海外情勢を知る光太夫の豊富な見聞は蘭学発展に寄与することになる。
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参考書籍

表紙 大黒屋光太夫 帝政ロシア漂流の物語
著者 山下恒夫
出版社 岩波書店
サイズ 新書
発売日 2004年02月
価格 799円(税込)
rakuten
ISBN 9784004308799
鎖国下の一八世紀後半、廻船・神昌丸が駿河湾沖で遭難、乗員らは漂着先のアリューシャン列島からシベリアへ渡った。立ちはだかる言葉の壁、異文化体験の衝撃、帰国を阻むロシア側の思惑…。帝都ペテルブルグでついにエカテリーナ二世への直訴を果たし、十年ぶりに帰国した船頭・光太夫らの数奇な漂流・漂泊の軌跡を新史料を交えて描く。
 
(この項おわり)
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