西暦1828年 - シーボルト事件

日本地図の国外持ち出しは禁止
シーボルト 1823 年、長崎のオランダ商館にドイツ人医師、シーボルトがやって来る。
シーボルトは、長崎郊外に鳴滝塾 (なるたきじゅく) を開き、病人の診療を続ける傍ら、日本人に西洋医学や科学を教えた。
一方、全国の測量を行った伊能忠敬 (いのうただたか) が死去し、地図作成の仕事は幕府の天文方であった高橋景保 (たかはしかげやす) が受け継ぎ、1821 年に完成させた。
当時、蝦夷地の地勢については外国にも知られておらず、幕府は諸外国に対し、この地図を秘密にしていた。
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ところが、シーボルトが帰国する際、この地図の写しを持っていたことが判明し、シーボルト事件が起きる。
シーボルトは国外追放となり、地図の写しを渡した高橋景保は捕らえられ、獄死する。
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同じ頃、葛飾北斎「富嶽三十六景」や安藤広重「東海道五十三次」が描かれた。
YEAR
1730
1755
1780
1805
1830
1855
1880
 
1828
 
シーボルト事件
 
1796
シーボルト
1866
 
1745
伊能忠敬
1818
 
1775
間宮林蔵
1844
 
1809
 
間宮海峡の発見
 
1773
徳川家斉
1841
 
1753?
喜多川歌麿
1806
 
1765
十返舎一九
1831
 
1743
トーマス・ジェファーソン
1828
 
1773
メッテルニヒ
1859
 
1769
ナポレオン・ボナパルト
1821

参考サイト

  • 出島(ぱふぅ家のホームページ)
(この項おわり)
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