西暦1848年 - フランクフルト国民議会

ドイツ統一を求める自由主義者の台頭
フランクフルト国民議会の様子
ウィーン体制により、オーストリアを盟主とする35君主4自由市からなるドイツ連邦が成立し、プロイセンも加わる。しかし実態はバラバラで、統一国家からは程遠い状態だった。

1848年、フランスで起きた二月革命の影響を受け、オーストリアでは首都ウィーンで起きた暴動によりメッテルニヒが失脚した。
プロイセンでも首都ベルリンで暴動が起き、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世は、憲法制定を約束した。これを見て、統一を求める自由主義者が集まり、フランクフルト国民議会を開催し、オーストリアを中心とする大ドイツ主義と、プロイセンと中心とする統一を掲げる小ドイツ主義が対立した。
結局、小ドイツ主義が採択され、プロイセン国王をドイツ皇帝に推薦するが、自由主義の台頭を恐れた国王は皇帝就任を拒否し、1849年、議会は解散させられる。

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(この項おわり)
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