西暦1864年 - 池田屋事件

禁門の変、長州征伐に発展

池田屋無用 (1864) 新撰組

池田屋
1864年(元治元年)7月8日(元治元年6月5日)、幕府の見廻組 (みまわりぐみ) 新撰組 (しんせんぐみ) が、池田屋で会合中の長州藩の尊攘派 (そんじょうは) を襲い、その多くを斬り殺すという池田屋事件が起きる。

このとき同席していた長州藩の桂小五郎 (かつらこごろう) (のちの木戸孝允 (きどたかよし) )は、屋根伝いに脱出し、唯一の生存者となった。

禁門の変から長州征伐へ

長州藩は勢力を盛り返すべく、桂小五郎や高杉晋作 (たかすぎしんさく) らの説得も虚しく、1,000人以上の兵を率いて京都に攻め上る。一方、幕府は、薩摩藩、会津藩、桑名藩に出兵させ、京都で長州軍を攻め破った。
これを禁門の変 (きんもんのへん) 蛤御門の変 (はまぐりごもんのへん) )と呼ぶ。この戦いで長州藩士200名以上が死亡した。幕府軍はこの余勢を駆り、長州征伐に向かう(第一次長州征伐)。

ちょうどその頃、長州藩では下関海峡を通過していた外国船に砲撃を加え、イギリス、フランス、アメリカ、オランダの四国連合軍の攻撃を受けていた。その結果、長州藩の砲台は全て壊され、戦意を喪失した長州藩は幕府に降伏し、尊攘派は退けられる。

1866年(慶応2年)6月、幕府は再び長州に1万人の大軍を派遣した(第二次長州征伐)。
長州では、大村益次郎 (おおむらますじろう) は近代化された1千の兵を率い、幕府軍を退けた。

新撰組

1863年(文久3年)2月4日、幕府が江戸で京都警備のための浪士組を募集したところ、近藤勇 (こんどういさみ) ら200人以上が参加する。
3月3日、朝廷から浪士組に江戸帰還の命が出されたが、17人が残留し壬生浪士組 (みぶろうしぐみ) を結成する。芹沢鴨 (せりざわかも) 近藤勇 (こんどういさみ) が局長となる。
9月、粛正により芹沢鴨らは追放され、壬生浪士組は新撰組に改名する。

池田屋事件の際には、、近藤勇、沖田総司 (おきたそうじ) 永倉新八 (ながくらしんぱち) 藤堂平助 (とうどうへいすけ) の4人が幕府の援軍を待たずに切り込んだ。その結果、長州藩の過激は藩士7名が死亡し、二十数名を捕縛した。
この功績により、新撰組に武士の身分が与えられ、晴れて幕臣となる。

彰義隊討伐

1867年(慶応3年)11月9日(慶応3年10月14日)、江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜 (とくがわよしのぶ) 大政奉還を行い、政権を朝廷に返上した。慶喜は新政権への参画を目論んでいたが、12月9日には王政復古の大号令が発せられた。
慶応4年/明治元年(1868年)1月3日、旧幕府軍と新政府軍が京都で衝突し、鳥羽・伏見の戦いが起きる。戊辰戦争の始まりである。
新政府側の西郷隆盛 (さいごうたかもり) と幕府側の勝海舟 (かつかいしゅう) が2日間にわたって会談し、4月11日、幕府が江戸城を明け渡すことで落着する。
慶喜は官位を失い、駿府(現在の静岡県)に移り住んだ。

しかし、慶喜の護衛のために結成された彰義隊 (しょうぎたい) は江戸にとどまり、新政府軍と小競り合いを繰り返していた。
慶応4年/明治元年(1868年)5月15日、大村益次郎は彰義隊を上野寛永寺 (かんえいじ) に誘い出し、新政府軍とアームストロング砲を駆使して彰義隊を敗走させた。

こうして関東圏を平定した新政府軍は、1869年(明治2年)5月18日、函館・五稜郭 (ごりょうかく) を落とし、戊辰戦争は終結する。

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目的地:池田屋跡

参考書籍

表紙 新撰組顛末記
著者 永倉新八
出版社 新人物往来社
サイズ 文庫
発売日 2009年05月
価格 720円(税込)
rakuten
ISBN 9784404036001
新選組の副長助勤となり、のちに二番組長を兼任した新八は、近藤勇らとともに池田屋へ斬り込んだ。新選組随一の遣い手として幾多の戦闘に加わり、十三人の大幹部のうち、ただ一人生き残った。北海道に渡り小樽に住んだ新八は、孫たちを相手に新選組の懐旧談を語り、記録に綴る晩年を送るが、大正二年(一九一三)三月から、『小樽新聞』記者の取材に応じて語った連載をまとめたのが本書である。近藤勇や土方歳三らとの交友、池田屋の乱闘、血の粛清など、幕末動乱の修羅場をくぐりぬけた者のみが知る生々しい証言が語られている。
 

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(この項おわり)
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