西暦1909年 - 伊藤博文の暗殺

日韓併合へ
安重根
1905 年(明治 38 年)、第二次日韓協定が調印され、日本は韓国を保護国とする。そして、韓国に日本の統監府 (とうかんふ) が置かれる。初代統監には伊藤博文 (いとうひろぶみ) が就任した。

一方、韓国皇帝は、オランダのハーグで開催されていた万国平和会議に密使を送り、日本の強引なやり方を訴えようとした。そこで、1907 年(明治 40 年)、日本は韓国皇帝を退位させ、第三次日韓条約を結ぶ。
韓国内には日本に対する反感が高まり、武力で抵抗する義兵運動 (ぎへいうんどう) を起こす。
1909 年(明治 42 年)、統監を辞任し枢密院議長に復帰した伊藤博文は、同年 10 月、ロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフと満州・朝鮮問題について非公式に話し合うためハルビン駅を訪れる。ここで、韓国の民族運動家、安重根 (アンジュングン) によって狙撃され、死亡する。安はその場で捕らえられ、旅順 (りょじゅん) 刑務所で処刑される。共犯者も 3 名逮捕されるが、暗殺時に伊藤の着用していたコートに残る弾痕から発砲位置を算出した結果、他にも狙撃手がいたことが疑われている。

日本は義兵運動を武力鎮圧し、1910 年(明治 43 年)には日韓併合条約 (にっかんへいごうじょうやく) を結び、韓国皇帝は政治の実権を日本に移譲することになる。こうして大韓帝国は滅び、日本は韓国を植民地「朝鮮」と呼ぶようになる。
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(この項おわり)
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