西暦1967年 - 愛新覚羅溥儀が死去

ラストエンペラーの死
清朝皇帝時代の溥儀
清朝皇帝時代の溥儀
1967年(昭和42年)10月17日、清朝第12代にして最後の皇帝(ラストエンペラー)愛新覚羅溥儀 (あいしんかくらふぎ) が中国で他界する。

溥儀は、1906年(明治39年)、第11代皇帝光緒帝 (こうしょてい) の弟である愛新覚羅載灃 (あいしんかくらさいほう) と、光緒帝の従兄弟で、西太后の腹心栄禄の娘である瓜爾佳氏・幼蘭の子として、北京に生まれる。
袁世凱
袁世凱
義和団の乱、北清事変の後も勢力を保っていた西太后は、1908年(明治41年)、光緒帝の後継者として溥儀を指名する。こうして溥儀はわずか2歳10か月で皇帝に即位させられ、清朝の第12代・宣統帝 (せんとうてい) となった。

1911年(明治44年)に辛亥革命が勃発すると、清朝政府は反乱鎮圧のために袁世凱 (えんせいがい) の武力に頼らざるを得なかった。
1912年(明治45年)、孫文 (そんぶん) は革命政府を維持するため、宣統帝の退位と引き換えに袁世凱に総統の座を譲る。ここに、秦の始皇帝以来つづいてきた皇帝による王朝の支配体制が終わることになる。
孫文
孫文
その後も溥儀は宦官らと紫禁城での生活を続けており、1919年(大正8年)には、中国語に堪能であったスコットランド人のレジナルド・ジョンストンを家庭教師として招聘した。溥儀は紫禁城内で生活をしながらも、ジョンストンがもたらした西欧風の生活様式と思想の影響を受けることとなる。
1922年(大正11年)には、満洲旗人の婉容 (えんよう) を皇后に、蒙古旗人の文繍 (ぶんしゅう) を第二夫人として迎えた。
一方、中国国内では軍閥同士による内戦が続いており、1924年(大正13年)、ついに溥儀一族は紫禁城から強制退去させられた。
満洲国皇帝時代の溥儀
満洲国皇帝時代の溥儀
溥儀は1923年(大正12年)の関東大震災の際に日本に支援金を送っており、これが縁で北京の日本公使館に入り、日本政府による庇護を受けることになる。

1932年(昭和7年)、関東軍が満洲国建国宣言を行い、溥儀は満州国の執政に就任した。
かねてから中国皇帝への復位を望んでいた溥儀は、1934年(昭和9年)、満州国皇帝の座につき、康徳帝 (こうとくてい) となる。だが実際には関東軍の傀儡政権であった。
1935年(昭和10年)、溥儀昭和天皇の招待により日本を国賓として公式訪問する。昭和天皇自らが東京駅まで溥儀を迎えに行くという、日本の歴史上無い異例の歓待を行なった。
1945年(昭和20年)8月15日、日本がポツダム宣言を受け入れ太平洋戦争が終結したことを受け、8月18日未明、溥儀自らが満洲国の消滅を宣言し、満洲国皇帝を退位した。
溥儀は日本への亡命を望んでいたが、途中、ソ連軍に捕らわれてしまう。その後、溥儀や溥傑ら旧満州国宮中一行はソ連極東部のチタとハバロフスク強制収容所に収監された。

1950年(昭和25年)、中華人民共和国が成立すると、一行の身柄は中国共産党に引き渡される。その後、裁判で裁かれることもないまま、戦犯として再教育を受ける。
1959年(昭和34年)、模範囚として特赦された。なお、溥儀とともに収容所に収監されていた溥傑も翌年釈放された。
溥儀は、収監されていたときから便宜を計らってもらっていた周恩来首相と相談し、一般市民として北京植物園での庭師としての仕事に就く。

中国を文化大革命の嵐が覆う中、溥儀は癌に罹った。かつての清朝皇帝の治療を行って紅衛兵たちに攻撃されることを恐れた多くの病院から入院を拒否されたが、ようやく周恩来の指示で北京市内の病院に入院することになった。すでに癌は末期状態で、1967年(昭和42年)に他界した。
晩年にチキンラーメンを好物とし、死ぬ間際に愛新覚羅浩に「日本のチキンラーメンを食べたい」と語っていたという。

1987年(昭和62年)、溥儀の生涯を描いた映画「ラストエンペラー」が公開された。この作品で音楽を担当した坂本龍一は、日本人初のアカデミー賞オリジナル作曲賞を受賞した。

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参考書籍

表紙 わが半生(上) 「満州国」皇帝の自伝
著者 愛新覚羅溥儀/小野忍
出版社 筑摩書房
サイズ 文庫
発売日 1992年12月
価格 1,320円(税込)
ISBN 9784480026620
清朝末期、紫禁城の奥深く、最後の皇帝がわずか3歳で即位した。滅びゆく大国は、歴史の波に呑まれ、列強の手に翻弄され、皇帝溥儀は運命のままに怒涛の前半生を送る。
 
表紙 わが半生(下) 「満州国」皇帝の自伝
著者 愛新覚羅溥儀/小野忍
出版社 筑摩書房
サイズ 文庫
発売日 1992年12月01日頃
価格 1,100円(税込)
ISBN 9784480026637
清朝崩壊後、日本軍が興した「満州国」の傀儡皇帝となった溥儀。三たびつかみとった皇帝の座は、しかし日本の敗戦とともに虚しく崩れ去る。待っていたのは、中華人民共和国による、戦犯としての長い「改造」期間だった。第2次大戦後、一個の人民へと急転した溥儀の、国家との、そして自己との戦いが克明に描かれる。
 
表紙 流転の王妃の昭和史
著者 愛新覚羅浩
出版社 新潮社
サイズ 文庫
発売日 1992年03月01日頃
価格 523円(税込)
ISBN 9784101263113
日本が戦争の泥沼におちいりつつあった昭和12年、旧侯爵家の長女だった著者は、軍部の仕組んだ政略結婚をあえて受け入れ、満州国皇帝の弟に嫁いだ。日中の架け橋として健気にその務めを果たしながら、戦後は夫と離ればなれに動乱の満州を流浪。そして16年をへて再会。国際結婚による民族風習の違い、その後の激動する境遇の障害を乗り越えて夫婦の愛を貫いた一人の女性の感動の一生。
 

紫禁城付近の航空写真

(この項おわり)
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