西暦1979年 - ソ連のアフガニスタン侵攻

ソ連のアフガニスタン侵攻
1979 年(昭和 54 年)、共産主義政党であるアフガニスタン人民民主党政権は、イスラーム保守層など国内の抵抗勢力を抑えきれず、ソビエト連邦に軍事支援を要請した。12 月 24 日、ソ連軍は国境を越えてアフガニスタンに侵攻、特殊部隊がアミーン大統領を殺害し、カールマルを新たな大統領とする政権を樹立した。
19 世紀後半、ロシアの南下政策とイギリス領インドに挟まれたアフガニスタン首長国は、外交権を譲渡するなどして、イギリスの保護国となった。その後の紛争やロシア革命を経て、1919 年(大正 8 年)、アマヌッラー国王のもとイギリスからの独立を果たす。
第二次大戦中は中立政策をとり、冷戦時代に入ると、隣国であるソビエト連邦とアメリカの駆け引きの中で、うまく援助を引き出した。

王政のもとで近代化と改革は進められたが、共産勢力が 1965 年(昭和 40 年)、アフガン人民民主党(PDPA)を結成。1973 年(昭和 48 年)、クーデターを起こして王制を打倒、アフガニスタン共和国が誕生する。
大統領に就任したダウードは、共産勢力と距離を置こうとしたが、1978 年(昭和 53 年)4 月に社会主義革命が起きて一族もろとも暗殺されてしまう。こうして、PDPA を率いてきたタラキを新大統領とするアフガニスタン民主共和国が誕生する。
権力を握った PDPA では内部抗争が起き、女性の社会進出の促進、土地改革等の改革はイスラーム保守層だけでなく、農村部の地主、一般国民の不満を高めることになった。そんな中、全土でムジャーヒディーン(異教徒からの攻撃に対しイスラーム共同体を守るイスラーム戦士・民兵組織)が蜂起した。

1979 年(昭和 54 年)2 月にイラン革命が起きると、副首相アミンがタラキを殺害し、大統領に就任。11 月にイラン・アメリカ大使館人質事件が起こると、ソ連のブレジネフはアフガニスタンやソ連国内へイスラム原理主義が飛び火することを恐れ、12 月 24 日にアフガニスタンへ軍事侵攻を開始する。

パキスタン経由でアメリカの支援を受けたムジャーヒディーン各派は、ソ連への攻撃を活発化させた。ソ連軍は苦戦を強いられ、駐留が長期化、犠牲者や財政支出も想定を超えて膨らんでいった。
1987 年(昭和 62 年)、ムハンマド・ナジーブッラーが大統領に就任。国名をアフガニスタン共和国に戻す。
1989 年(平成元年)、ソ連軍の撤退が完了した。だが、撤退後の国内支配をめぐり、再びアフガニスタン紛争が起きる。1992 年(平成 4 年)、ナジーブッラー政権が崩壊し、アフガニスタン・イスラム国が成立。1994 年(平成 6 年)、内戦が全土に広がり、ビン・ラディンが率いるタリバンなどイスラーム過激派が勢力を拡大することになる。
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