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忘れ去られたCPU黒歴史 | ||
| 著者 | 大原 雄介 | ||
| 出版社 | 角川アスキー総合研究所 | ||
| サイズ | 単行本 |
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| 発売日 | 2012年07月10日頃 | ||
| 価格 | 1,540円(税込) | ||
| ISBN | 9784048867719 | ||
ゴーレムは「カバラの呪文」を胸のスロットに入れると動き出し、その小さく丸められた羊皮紙を子供に抜き取られてパタリと止まるのだ。それとまったく同じようにして動くものが作りだされ、たかだか50年前の人たちにすら信じられないようなことを可能にしている。その根幹にある、現在の「秘術」がCPUの世界である。(2ページ)
レビュー
8086のダイ
著者は、ASCII.jpで「ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情」を連載している大原雄介さん。8ビットCPUの時代からパソコンを使っている身としては、黒歴史と呼ぶには懐かしいCPUばかりで、当時を懐かしみながら一気に読んだ。
サブタイトルに「Intel/AMDが振り返りたくない失敗作たち」とあるとおり、前半は Intel の CPU、後半は AMD の CPU が並ぶ。そして最後に、マイナー系 x86 CPUと、次世代 Macintosh になり損ねたCPUを取り上げる。
トップバッターは「Timna」は、Pentium III 時代の自作ユーザーに期待されながら、ついに市場に出なかった幻の統合型 CPU である。なぜ黒歴史として葬られたかは本書をお読みいただくとして、設計を担当したのは MMX Pentium で統合のお手本をつくったイスラエルのハイファにあるデザインセンターである。Timna は無かったことにされているが、その後、Pentium M で大成功を収め、Coreプロセッサーへの道筋を開いた。

二番手の iAPX 432 は、8086 アセンブリを書いているとき、その塩っぱさに辟易としているときに知ったCPUである。型番を見れば割るように、8086/8088 は 8080 の延長線上にあるアーキテクチャなのだ。乗除算命令があるとはいえ、加減算を繰り返しているだけだから遅い。一方の iAPX 432 は、電算機概論で学んだメインフレームの流れを汲む 32ビット・アーキテクチャだ。ただし、21世紀の現在も実現できていない CPU レベルでのオブジェクト指向を目指すなど、理想的な機能・仕様を目指したため、1981年に出荷開始されたものの、高い・遅いとの悪評を逃れることができず、1984年に 80286 が登場すると、早々に姿を消した。
この頃のインテルは、32ビット・アーキテクチャへの中継ぎに過ぎなかった 8088 が IBM PC に採用されたことで大化けし、iAPX 432 の赤字を補って余りあるほどで、インテル単独では 8086/8088 の受注に追いつかなかったという。そこで、NECなどにセカンドソースした。NECは 8086 を改良して V30 という名品を生み出し、PC-9801シリーズは国民機へと成長していく。

1980年代半ばから、CISC 対 RISC が話題になった。インテルが RISC に手を出して作ったのが i860 である。命令を単純化することで、ひたすら実行速度を稼ごうという RISC は、除算命令すら持たずにソフトウェア側に実装を要求する。その点で 1989年に登場した i860 は徹底しており、パイプラインの各ステージの状態をソフトウェアから見ることができる。CPU側で並列処理は一切行わず、ソフトウェア側に丸投げするための仕組みだ。しかし、予測分岐が店宿な時代のことなので、せっかくのパイプラインが全く役に立たず、ハンドアセンブルでも理論値の半分のベンチマークスコアしか出なかった。
にもかかわらず、浮動小数点演算性能が買われ、アップルを追われたスティーブ・ジョブズが作った NeXT Cube 用のグラフィックカードに利用されることになる。高速にPostScriPt の実行が可能だったからだ。
インテルとシーメンスは Ada をシステム言語として使用するハイエンド・フォールトトレラント・オブジェクト指向コンピュータシステム開発プロジェクト「BiiN」を立ち上げ、金融、原発などのインフラ系に加え、軍用にも耐えうる RISC CPU「i960」を設計した。i860 よりも筋がよく、1986年に販売開始されるのだが、BiiN に進捗が一向に進まない。このため、組み込み用として販路を開拓するのだが、インテルも AMD も、じつは組み込み系ビジネスを理解していない。こうして1990年に終焉を迎える。

2000年代前半、AMDとクロック数争いを続けていたインテルは、第三世代の Pentium 4 として2004年に Prescott を発表する。前世代の Northwood に比べてパイプラインの段数を20から30段へ増やし 5GHzを目指したのだが、膨大なリーク電流と発熱で自作界隈を賑わせた。この煽りで、マルチスレッドを目指した次世代の Tejas もキャンセルとなる。

1997年に、DEC が持っていたRISC「StrongARM」の資産を継承したインテルは、2002年に XScale として三度 RISC に挑戦する。今回は、PDA や携帯電話をもターゲットにしていると話題になり、実際に XScale を搭載した PDA が登場した。ところが、携帯電話に押されて PDA 市場が失速。一方の携帯電話は、PCとはまったく異なるビジネスモデルで成り立っており、インテルがそれを理解する間もなく XScale は終焉を迎える。

2001年に登場した Merced は初代「Itanium」である。64ビット・アーキテクチャの本命として設計されたのだが、iAPX 432 の時と同じく、理想を追い求めすぎた。トランジスター数3億2500万、ダイサイズは 300mm2 という化け物になってしまい、配線遅延から、クロック数をあげることができなくなってしまったのだ。加えて、コンパイラの最適化に時間がかかり、Pentium III よりも性能が劣る有様になってしまった。インテルは諦めず設計を一からやり直し、翌年、第2世代「Itanium」の McKinley を発表し、メインフレーム市場に食い込むことに成功した。

お次はAMD――。
1988年に登場した Am29000 は素直な RISC CPU であった。その素直さがゆえに、PostScript プリンタには必ず搭載されるほどの市場を獲得したのだが、1993年にインテルが出荷回した Pentium に対抗するため、AMD は Am29000 のサポート技術者までを引き抜き、対抗 CPU「AMD K5」の設計に取りかからせる。これが悪手だった。組み込み系 CPU は、PC向け CPU に比べてライフサイクルが長いうえ、機器メーカーへのテクニカルサポートが欠かせない。AMD もインテルもこうした事情を理解しておらず、Am29000 はその素性の良さにもかかわらず廃番となった。
Pentium II/III 対抗の切り札となる K7(Athlon)登場までの時間稼ぐとするため。AMDは 1999年に K6-III を販売開始する。K6-II の機能に加え、CPUコアの動作周波数と同じ周波数で動作する2次キャッシュを搭載したのだが、これがアダとなった。ダイサイズが巨大化し歩留まりが上がらず、クロック数をあげることもままならなかったのだ。

1900年代最後の年、「SledgeHammer/ClawHammer」の開発コード名で、K8 アーキテクチャがお披露目された。その理論性能は Pentium 4 はもちろん、ワークステーション向けの Xeon も凌駕するものだった。これに慌てたインテルは Prescott の開発を急ぎ、黒歴史に突入したのは前述の通り。ところが、Hammer シリーズの進捗状況も思わしくなかった。アーキテクチャの変更と、130nm SOIプロセスへの変更という2つの変更を同時に行ったのが悪手だった。2003年4月になって、ようやく Opteron が発表になる。動作周波数は最大でも 1.8GHz というお寒い状況だったのだが、インテル陣営が Prescott で自滅したため、Opteron と Athlon64 はそこそこ市場を獲得した。
AMD は K9 をキャンセルし、Barcelona という開発コード名の初代「K10」を2007年に発表する。これもアーキテクチャとプロセスの変更を同時に行うという悪手の見本で、莫大な消費電力と発熱に悩まされる、同一クロックなら Core 2 Quad といい勝負だったのだが、肝心のクロック数をあげることができず、姿を消すことになる。

AMD は1996年に1チップCPU「Elan」を発表し、再び組み込み市場に打って出るのだが、2003年に National SeIIliconductor の Geode 部門を事業部ごと買収すると、Elan を廃番にしてしまう。Am29000 の失敗を繰り返したことで、組み込み市場から総スカンを喰らい、素性がいいはずの Geode はまったく売れず、市場から撤退することになる。

マイナー系 x86 CPU として、Intel 486 をデッドコピーした出自がまっ黒な台湾 UMC 社の「UMC U5S」、設計だけで市場に出なかった「AMD K9」「Cyrix M3 Jalapeno」「MemoryLogix MLX1」「Elbrus E2K」が並ぶ。
最後に、モトローラーが独自開発したRISCプロセッサ「MC88100/MC88110」である。とくに MC88110 は、アップル や NeXT の次世代マシンへの搭載がほぼ確定しており、開発環境まで用意された。ところが、リリースが遅れに遅れ、1992年になった。ここまで遅れると、MC88110 の性能では他社を上回ることができない。ちょうどその頃、IBM は Powerアーキテクチャをベースとして CPU 開発を持ちかけ、アップルがこれに乗った。CPU を作る仕事はモトローラーに任され、モトローラーは仕方なく Power PC の開発へシフトしていくことになる。

21世紀の入った現在も、CPU市場は熾烈な競争を繰り広げている。AMD の悪手を手本にしたのか、Core プロセッサではアーキテクチャとプロセスの変更を互い違いに行うチック・タック戦略をとり、PC市場を占有するまでになったにもかかわらず、その慢心か、AI技術で出遅れ、NVIDIA の資本提携を余儀なくされている。
一方の AMD も、Zenアーキテクチャでインテルをしのぐまでに成長したものの、AI性能では NVIDIA にはかなわない。
アップルは、iPhone で培った技術をベースに、悲願だった Macintosh 向け CPU を自社開発できるまでになった。たいへん素性のいいCPUであるのだが、アップルは Macintosh 以外に展開するつもりはないようだ。

また心配なのは、複雑になりすぎた CPU/GPU/APU は、常にバグやサイバー攻撃のリスクに晒されているということだ。最近のPCはディープスリープにしても、ある程度の電力が消費される。市場の声が怖いからといって、バグをサイレント修正しているようでは、製造メーカーとして図体が大きいだけで、ガバナンスは創業当時と変わらないのではないだろうか。
いつまでもCPU開発を「秘術」とするのではなく、エンドユーザーに安心と満足を提供する企業に成長してほしいと切に願う。
トップバッターは「Timna」は、Pentium III 時代の自作ユーザーに期待されながら、ついに市場に出なかった幻の統合型 CPU である。なぜ黒歴史として葬られたかは本書をお読みいただくとして、設計を担当したのは MMX Pentium で統合のお手本をつくったイスラエルのハイファにあるデザインセンターである。Timna は無かったことにされているが、その後、Pentium M で大成功を収め、Coreプロセッサーへの道筋を開いた。
二番手の iAPX 432 は、8086 アセンブリを書いているとき、その塩っぱさに辟易としているときに知ったCPUである。型番を見れば割るように、8086/8088 は 8080 の延長線上にあるアーキテクチャなのだ。乗除算命令があるとはいえ、加減算を繰り返しているだけだから遅い。一方の iAPX 432 は、電算機概論で学んだメインフレームの流れを汲む 32ビット・アーキテクチャだ。ただし、21世紀の現在も実現できていない CPU レベルでのオブジェクト指向を目指すなど、理想的な機能・仕様を目指したため、1981年に出荷開始されたものの、高い・遅いとの悪評を逃れることができず、1984年に 80286 が登場すると、早々に姿を消した。
この頃のインテルは、32ビット・アーキテクチャへの中継ぎに過ぎなかった 8088 が IBM PC に採用されたことで大化けし、iAPX 432 の赤字を補って余りあるほどで、インテル単独では 8086/8088 の受注に追いつかなかったという。そこで、NECなどにセカンドソースした。NECは 8086 を改良して V30 という名品を生み出し、PC-9801シリーズは国民機へと成長していく。
1980年代半ばから、CISC 対 RISC が話題になった。インテルが RISC に手を出して作ったのが i860 である。命令を単純化することで、ひたすら実行速度を稼ごうという RISC は、除算命令すら持たずにソフトウェア側に実装を要求する。その点で 1989年に登場した i860 は徹底しており、パイプラインの各ステージの状態をソフトウェアから見ることができる。CPU側で並列処理は一切行わず、ソフトウェア側に丸投げするための仕組みだ。しかし、予測分岐が店宿な時代のことなので、せっかくのパイプラインが全く役に立たず、ハンドアセンブルでも理論値の半分のベンチマークスコアしか出なかった。
にもかかわらず、浮動小数点演算性能が買われ、アップルを追われたスティーブ・ジョブズが作った NeXT Cube 用のグラフィックカードに利用されることになる。高速にPostScriPt の実行が可能だったからだ。
インテルとシーメンスは Ada をシステム言語として使用するハイエンド・フォールトトレラント・オブジェクト指向コンピュータシステム開発プロジェクト「BiiN」を立ち上げ、金融、原発などのインフラ系に加え、軍用にも耐えうる RISC CPU「i960」を設計した。i860 よりも筋がよく、1986年に販売開始されるのだが、BiiN に進捗が一向に進まない。このため、組み込み用として販路を開拓するのだが、インテルも AMD も、じつは組み込み系ビジネスを理解していない。こうして1990年に終焉を迎える。
2000年代前半、AMDとクロック数争いを続けていたインテルは、第三世代の Pentium 4 として2004年に Prescott を発表する。前世代の Northwood に比べてパイプラインの段数を20から30段へ増やし 5GHzを目指したのだが、膨大なリーク電流と発熱で自作界隈を賑わせた。この煽りで、マルチスレッドを目指した次世代の Tejas もキャンセルとなる。
1997年に、DEC が持っていたRISC「StrongARM」の資産を継承したインテルは、2002年に XScale として三度 RISC に挑戦する。今回は、PDA や携帯電話をもターゲットにしていると話題になり、実際に XScale を搭載した PDA が登場した。ところが、携帯電話に押されて PDA 市場が失速。一方の携帯電話は、PCとはまったく異なるビジネスモデルで成り立っており、インテルがそれを理解する間もなく XScale は終焉を迎える。
2001年に登場した Merced は初代「Itanium」である。64ビット・アーキテクチャの本命として設計されたのだが、iAPX 432 の時と同じく、理想を追い求めすぎた。トランジスター数3億2500万、ダイサイズは 300mm2 という化け物になってしまい、配線遅延から、クロック数をあげることができなくなってしまったのだ。加えて、コンパイラの最適化に時間がかかり、Pentium III よりも性能が劣る有様になってしまった。インテルは諦めず設計を一からやり直し、翌年、第2世代「Itanium」の McKinley を発表し、メインフレーム市場に食い込むことに成功した。
お次はAMD――。
1988年に登場した Am29000 は素直な RISC CPU であった。その素直さがゆえに、PostScript プリンタには必ず搭載されるほどの市場を獲得したのだが、1993年にインテルが出荷回した Pentium に対抗するため、AMD は Am29000 のサポート技術者までを引き抜き、対抗 CPU「AMD K5」の設計に取りかからせる。これが悪手だった。組み込み系 CPU は、PC向け CPU に比べてライフサイクルが長いうえ、機器メーカーへのテクニカルサポートが欠かせない。AMD もインテルもこうした事情を理解しておらず、Am29000 はその素性の良さにもかかわらず廃番となった。
Pentium II/III 対抗の切り札となる K7(Athlon)登場までの時間稼ぐとするため。AMDは 1999年に K6-III を販売開始する。K6-II の機能に加え、CPUコアの動作周波数と同じ周波数で動作する2次キャッシュを搭載したのだが、これがアダとなった。ダイサイズが巨大化し歩留まりが上がらず、クロック数をあげることもままならなかったのだ。
1900年代最後の年、「SledgeHammer/ClawHammer」の開発コード名で、K8 アーキテクチャがお披露目された。その理論性能は Pentium 4 はもちろん、ワークステーション向けの Xeon も凌駕するものだった。これに慌てたインテルは Prescott の開発を急ぎ、黒歴史に突入したのは前述の通り。ところが、Hammer シリーズの進捗状況も思わしくなかった。アーキテクチャの変更と、130nm SOIプロセスへの変更という2つの変更を同時に行ったのが悪手だった。2003年4月になって、ようやく Opteron が発表になる。動作周波数は最大でも 1.8GHz というお寒い状況だったのだが、インテル陣営が Prescott で自滅したため、Opteron と Athlon64 はそこそこ市場を獲得した。
AMD は K9 をキャンセルし、Barcelona という開発コード名の初代「K10」を2007年に発表する。これもアーキテクチャとプロセスの変更を同時に行うという悪手の見本で、莫大な消費電力と発熱に悩まされる、同一クロックなら Core 2 Quad といい勝負だったのだが、肝心のクロック数をあげることができず、姿を消すことになる。
AMD は1996年に1チップCPU「Elan」を発表し、再び組み込み市場に打って出るのだが、2003年に National SeIIliconductor の Geode 部門を事業部ごと買収すると、Elan を廃番にしてしまう。Am29000 の失敗を繰り返したことで、組み込み市場から総スカンを喰らい、素性がいいはずの Geode はまったく売れず、市場から撤退することになる。
マイナー系 x86 CPU として、Intel 486 をデッドコピーした出自がまっ黒な台湾 UMC 社の「UMC U5S」、設計だけで市場に出なかった「AMD K9」「Cyrix M3 Jalapeno」「MemoryLogix MLX1」「Elbrus E2K」が並ぶ。
最後に、モトローラーが独自開発したRISCプロセッサ「MC88100/MC88110」である。とくに MC88110 は、アップル や NeXT の次世代マシンへの搭載がほぼ確定しており、開発環境まで用意された。ところが、リリースが遅れに遅れ、1992年になった。ここまで遅れると、MC88110 の性能では他社を上回ることができない。ちょうどその頃、IBM は Powerアーキテクチャをベースとして CPU 開発を持ちかけ、アップルがこれに乗った。CPU を作る仕事はモトローラーに任され、モトローラーは仕方なく Power PC の開発へシフトしていくことになる。
21世紀の入った現在も、CPU市場は熾烈な競争を繰り広げている。AMD の悪手を手本にしたのか、Core プロセッサではアーキテクチャとプロセスの変更を互い違いに行うチック・タック戦略をとり、PC市場を占有するまでになったにもかかわらず、その慢心か、AI技術で出遅れ、NVIDIA の資本提携を余儀なくされている。
一方の AMD も、Zenアーキテクチャでインテルをしのぐまでに成長したものの、AI性能では NVIDIA にはかなわない。
アップルは、iPhone で培った技術をベースに、悲願だった Macintosh 向け CPU を自社開発できるまでになった。たいへん素性のいいCPUであるのだが、アップルは Macintosh 以外に展開するつもりはないようだ。
また心配なのは、複雑になりすぎた CPU/GPU/APU は、常にバグやサイバー攻撃のリスクに晒されているということだ。最近のPCはディープスリープにしても、ある程度の電力が消費される。市場の声が怖いからといって、バグをサイレント修正しているようでは、製造メーカーとして図体が大きいだけで、ガバナンスは創業当時と変わらないのではないだろうか。
いつまでもCPU開発を「秘術」とするのではなく、エンドユーザーに安心と満足を提供する企業に成長してほしいと切に願う。
(2025年9月20日 読了)
参考サイト
- 忘れ去られたCPU黒歴史:角川アスキー総合研究所
- ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情:ASCII.jp
- 大原雄介公式サイト
- 大原雄介@YusukeOhara:Twitter(現・X)
- 8086は x86アーキテクチャの元祖:ぱふぅ家のホームページ
- Intel 80286 は MS-DOS上の最速CPU:ぱふぅ家のホームページ
- 「Pentium M」はPentium 4を駆逐する?:ぱふぅ家のホームページ
(この項おわり)
