写真の C57 186 は、1946年(昭和21年)、三菱重工業で生産された3次形で、戦後の旅客用機関車の不足を補うために製造された。1次形に比べて組み立て式従台車を使用するなど、資材・工程削減を行ったが、基本性能は維持している。
写真の C57 44 は、1938年(昭和13年)、三菱重工業で生産された1次形で、従台車とテンダー台車が一体鋳鋼製となっている。西条市長、国鉄総裁を歴任した十河信二氏の雅号にちなみ、春雷号と名付けられた。
東京、仙台、札幌、室蘭と転戦し、330万km余を走行し、1976年(昭和51年)3月末に廃車となった。西条市民公園で展示されていたが、2014年(平成26年)、四国鉄道文化館に移設された。
(この項おわり)
1937年(昭和12年)、C55形の63号機として製造が始められたが、改良箇所が多く、新しい形式であるC57形になった。1947年(昭和22年)までの間に201両が製造された。