車内はボックスシートだが、現在のものよりかなり小さい。大都市近郊路線で運用したため通路幅の確保が必要だったと思われるが、現代の日本人の体格では 2 人で座るのは無理である。
日本車両製造が 62 両を製造。機械式の変速装置が付いたまま現存するのは、この車両だけだ。
1952 年(昭和 27 年)にガソリンエンジンとディーゼルエンジンに変更し、1957 年(昭和 32 年)には豊後森機関区に配置され、宮原線で運用されていた。1969 年(昭和 44 年)に引退し、大切に保管されてきた。

2021 年(令和 3 年)、国の重要文化財に指定された。鉄道車両の指定としては 11 件目で、気動車では初めて。
1952 年(昭和 27 年)にガソリンエンジンとディーゼルエンジンに変更し、1957 年(昭和 32 年)には豊後森機関区に配置され、宮原線で運用されていた。1969 年(昭和 44 年)に引退し、大切に保管されてきた。

2021 年(令和 3 年)、国の重要文化財に指定された。鉄道車両の指定としては 11 件目で、気動車では初めて。
参考サイト
- EF10 形電気機関車:失われた鉄道情景を求めて
- 九州鉄道記念館:ぱふぅ家のホームページ
- 門司港レトロ:ぱふぅ家のホームページ
- 九州鉄道記念館訪問 その 4 キハ 07:B767-281 のブログ
- キハ07形気動車:ブラり写真日記
(この項おわり)
ベースとなったキハ 42500 形(2 代目)は 1937 年(昭和 12 年)の製造で、当時流行だったレトロモダンな流線型を採用している。戦前の代表的な機械式気動車で、連結運転の時には双方の運転士が合図しながらクラッチを切り換えていた。