観光列車「ろくもん」
車内では水戸岡が得意とする木材が多用され、床、イス、テーブルなどに長野県産材を使用している。
1号車はファミリーやグループ向けの車両となっており、、中央に子どもが遊べる木のプールを設置した。
115系
運営会社のしなの鉄道株式会社は、長野県と長野市が8割近い株式を保有する。
経営は厳しく、人経費削減のために2004年(平成16年)からワンマン運転を始めている。
経営は厳しく、人経費削減のために2004年(平成16年)からワンマン運転を始めている。
2016年(平成28年)現在の保有車両は、JR東日本から譲渡された 115系のみである。
全線でワンマン運転を行っているため、譲渡時にワンマン対応改造などが施された。
全線でワンマン運転を行っているため、譲渡時にワンマン対応改造などが施された。
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系列は115系のままで車号も変更されていないが、全編成のドア上部に広告用液晶ディスプレイとドアチャイムが追加された。
しなの鉄道で115系の動く博物館を完成したい!
2017年(平成29年)10月、クラウドファンディングサイト「CAMPFIRE」で、しなの鉄道による“115系車両の動く博物館”を実現するプロジェクト「しなの鉄道で115系の動く博物館を完成したい!コカ・コーラレッドカラーで実現」が立ち上がり、わずか5日間で目標額の290万円を上回った。
しなの鉄道では、開業20年を記念し、信越線時代に走った懐かしの車体色の復刻を企画。4月にアイボリーと緑の「初代長野色」、5月に緑とオレンジの「湘南色」、7月にクリームと青の「横須賀色」の電車を、それぞれ1編成3両登場させた。
これで「信州を走った115系の動く博物館が完成」のはずだったが、ネット上や社内で「もう1色、『コカ・コーラ・レッド』もあった」との指摘が上がった。国鉄時代の1987年(昭和62年)から3年間、信州では、全面広告列車として真っ赤な車体に「コカ・コーラ」のロゴをつけた列車が走っていたのだ。
企画の予算は使い切っていたが、かつてコカ・コーラ列車として走った1編成3両はしなの鉄道に残っており、来年2月に3~4年に1度の大規模点検を控えていた。そこで、クラウドファンディングで塗装比などの資金を集めたのだ。
しなの鉄道では、開業20年を記念し、信越線時代に走った懐かしの車体色の復刻を企画。4月にアイボリーと緑の「初代長野色」、5月に緑とオレンジの「湘南色」、7月にクリームと青の「横須賀色」の電車を、それぞれ1編成3両登場させた。
これで「信州を走った115系の動く博物館が完成」のはずだったが、ネット上や社内で「もう1色、『コカ・コーラ・レッド』もあった」との指摘が上がった。国鉄時代の1987年(昭和62年)から3年間、信州では、全面広告列車として真っ赤な車体に「コカ・コーラ」のロゴをつけた列車が走っていたのだ。
企画の予算は使い切っていたが、かつてコカ・コーラ列車として走った1編成3両はしなの鉄道に残っており、来年2月に3~4年に1度の大規模点検を控えていた。そこで、クラウドファンディングで塗装比などの資金を集めたのだ。
車両を青色とクリーム色の2色に塗り分けるスカ色は、1950年(昭和25年)、国鉄・横須賀線の電車で初めて採用された。しなの鉄道の115系がスカ色になるのは、初めてのことである。
懐かしの車体カラーで初代長野色に塗り直された編成。
(この項おわり)
そのうち1編成3両が改造され、2014年(平成26年)7月11日に観光列車「ろくもん」としてデビューした。