発言者
下村昇 (しもむら・のぼる) | ||
2003年4月5日 |
場面
「文字に強い子どもはことばに強くなる」(下村昇/自由国民社/ISBN:4426481015)87ぺーじより。
この前置きとして「家庭での勉強のさせ方は〈子どもは考え、発見し〉〈親はそれを褒める〉ということだと心得てください。親が先生をやってはいけません」と述べている。
この前置きとして「家庭での勉強のさせ方は〈子どもは考え、発見し〉〈親はそれを褒める〉ということだと心得てください。親が先生をやってはいけません」と述べている。
コメント
日頃仕事をしていて感じるのだが、手取り足取り教えてやらないと仕事が進まない若手社員が増えた。とくにプログラミングがそうだ。何も自分が年老いたわけではない。
私は、今でもそうだが、新しいコーディング・テクニックを見たら、すぐに試してみたくなってしまう性分である。知らないコードを見たら、徹夜してでも解析する。そして、自力で解析できたときの喜びと、さらに良いコードに進化させようという欲が生まれてくる。
客観的に見れば、ノウハウ本を買ってきたり、経験者にコーディングしてもらった方が早いわけで、無駄な労力をかけているわけだが、会社に迷惑にならない程度であれば、少しくらい無駄なことをしてもいいじゃないか。
週末、子どもの勉強を見ていて思うのだが、教えるという行為は壮大な無駄である。親が教えるより、通信教育を受けさせたり、塾へ通わせる方が、はるかに効率的である。にもかかわらず、無駄な作業は楽しいし、子どもの成長を見ているとワクワクさせられる。
私は、今でもそうだが、新しいコーディング・テクニックを見たら、すぐに試してみたくなってしまう性分である。知らないコードを見たら、徹夜してでも解析する。そして、自力で解析できたときの喜びと、さらに良いコードに進化させようという欲が生まれてくる。
客観的に見れば、ノウハウ本を買ってきたり、経験者にコーディングしてもらった方が早いわけで、無駄な労力をかけているわけだが、会社に迷惑にならない程度であれば、少しくらい無駄なことをしてもいいじゃないか。
週末、子どもの勉強を見ていて思うのだが、教えるという行為は壮大な無駄である。親が教えるより、通信教育を受けさせたり、塾へ通わせる方が、はるかに効率的である。にもかかわらず、無駄な作業は楽しいし、子どもの成長を見ているとワクワクさせられる。
発言者による著作物
(この項おわり)