発言者
黒川光博 (くろかわ・みつひろ) |
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|
株式会社 虎屋 社長 | ||
2017年1月8日 |
場面
老舗和菓子屋の虎屋。500年ほど前の室町時代後期に京都で創業してから、質の高い和菓子を世に送り出してきた。時代の荒波が押し寄せても、存続した秘密はどこにあるのか。朝日新聞が17代当主の黒川光博社長にインタビューした――。


大きな要素として思うのは、いつの時代でも誠心誠意、仕事をしてくれた人がいたのだろうということです。根底にあるのは、人です。働いている人と経営者の間に信頼関係があること。社員が一生懸命働こうと思ってくれることが重要です。9代当主が江戸時代にまとめた掟書(おきてがき)を読んでも、当時の人々が今と変わらない、真面目な姿勢で仕事にのぞんでいたことがうかがえます。
(15代当主の)祖父がなくなる直前、人事異動があったのですが、病床にいた祖父に対して、『今回は若い人たちを思い切って抜擢しました』と報告しました。そのときに祖父は本当に一言だけ、『古い人も大切にね』と言ったのです。他にもいろんな言葉をかけられたと思いますが、その言葉が非常に印象に残っています。働いている人たちを大切にしなければいけない、という目線は過去から引き継がれているのかもしれません。
歴史があることはありがたいことではありますが、歴史があるから将来が保証されるわけではありません。長い歴史を感じながらも、『大切なのは今』と社員に言い続けています。
「虎屋・黒川光博社長「大切なのは今。言い続けている」」(朝日新聞)
コメント
東京商工リサーチの調査によると、わが国には創業100年を超える老舗企業が3万3千社あまりあり、2012年(平成24年)の調査から2割ほど増えているという。東京商工リサーチが把握していない個人商店や小規模会社を含めると、10万社を超えるとみられている。
こうした老舗企業を取材している野村進さんは、著書『千年、働いてきました』の中で、「製造業のアジア」と「商人のアジア」があり、わが国は紛れもなく「職人のアジア」だとしたうえで、「『職人のアジア』には“王”すなわち権力者への根強い信頼感が根底にある。それはしばしば、国家や政府への信頼感につながる」と指摘する。

『千年、働いてきました』『千年企業の大逆転』で取り上げられた多くの老舗は、虎屋と同じく、伝統を大切にしながら、それに縛られずに常にチャレンジしている。
フェルト製の中折れ帽の製造会社として明治時代に創業した帝国製帽は、フェルト加工技術を生かし、フェルトペン先を開発。社名をテイボーに変更し、今日では金属射出成型事業に進出する一方、タッチペンや医療用カテーテルも製造している。
筆ペンでお馴染みの呉竹は、明治時代に墨を作るために起業した。戦後、学校向けの墨汁を開発し、その後、筆ペンを世に送り出した。

最も古い老舗である金剛組の創業は578年。聖徳太子の命を受けて四天王寺の建設に携わったのが始まりだ。2006年(平成18年)に倒産するが、大阪の同業者が奇策を用いて金剛組を破産から救ったという。老舗企業は、単なる同族会社ではなく、みんなに支えられている/みんなが支える価値のある会社と信じているのである。
こうした老舗企業を取材している野村進さんは、著書『千年、働いてきました』の中で、「製造業のアジア」と「商人のアジア」があり、わが国は紛れもなく「職人のアジア」だとしたうえで、「『職人のアジア』には“王”すなわち権力者への根強い信頼感が根底にある。それはしばしば、国家や政府への信頼感につながる」と指摘する。

『千年、働いてきました』『千年企業の大逆転』で取り上げられた多くの老舗は、虎屋と同じく、伝統を大切にしながら、それに縛られずに常にチャレンジしている。
フェルト製の中折れ帽の製造会社として明治時代に創業した帝国製帽は、フェルト加工技術を生かし、フェルトペン先を開発。社名をテイボーに変更し、今日では金属射出成型事業に進出する一方、タッチペンや医療用カテーテルも製造している。
筆ペンでお馴染みの呉竹は、明治時代に墨を作るために起業した。戦後、学校向けの墨汁を開発し、その後、筆ペンを世に送り出した。

最も古い老舗である金剛組の創業は578年。聖徳太子の命を受けて四天王寺の建設に携わったのが始まりだ。2006年(平成18年)に倒産するが、大阪の同業者が奇策を用いて金剛組を破産から救ったという。老舗企業は、単なる同族会社ではなく、みんなに支えられている/みんなが支える価値のある会社と信じているのである。
参考書籍
(この項おわり)