『善人ほど悪い奴はいない』――善人は「数」に訴える

中島義道=著
表紙 善人ほど悪い奴はいない
著者 中島 義道
出版社 KADOKAWA
サイズ 新書
発売日 2010年08月06日
価格 781円(税込)
rakuten
ISBN 9784047102491
善人は弱いことを自覚しているからこそ、最も卑劣で姑息なやり方で権力を求める。つまり、彼らは「数」に訴えるのである。(127ページ)

概要

テレビのコメンテーターや、Twitterに入ってくるメッセージに違和感を覚える。こういうとき、しっかりした哲学を持っていないと、状況に流されかねない。まずは、ニーチェの復習だ――というわけで、怒れる哲学者、中島義道さんの作品を読むことにした。
なお、本書は哲学書である。ハウツー本のように答えが書いてあるわけではない。まずは、善良な弱者の存在に気づくところから始めよう。

レビュー

中島さんは、弱者をこう定義する――「弱者とは、自分が弱いことを骨の髄まで自覚しているが、それに自責の念を覚えるのでもなく、むしろ自分が弱いことを全身で『正当化』する人」(10ページ)。
そして、「何もしないで、たえず文句ばかり、しかも紋切り型のきれいごとばかり語っているのが善人」(36ページ)としたうえで、ニーチェの善人批判論をテーマに、「ただ口先で『世の中おかしい』と言っているだけの人は、じつのところ悪徳商法の大家より、振り込め詐欺のプロより、道徳的に悪い。なぜなら、あらゆるスリや泥棒やサギ師は少なくとも自分が『悪い』と自覚しているが、彼らはそういう最低の善悪の自覚さえないのだ」(34ページ)と断罪する。
さらに、「善良な弱者は、もしうまくチャンスがめぐってきたら、自分も似たような悪事に走ったかもしれない、という自己批判的観点が完全に欠如しているほど自己観察眼が足りないアホ」(68ページ)と追い打ちをかける。そういえば、作家で俳優の筒井康隆さんが『笑犬樓よりの眺望』で同じことを述べていた。

中島さんは、「いつの時代においても、けっして自己批判をしない。『みんな』と同じ行動をとることに一抹の疑問も感じない」(140ページ)といい、「こういう「幻想的平等主義」を教え込んだ張本人がいる。それは、自分は穴に隠れてこそこそ大衆を操作している卑劣きわまりない毒蜘妹たち」(133ページ)と指摘する。ニーチェが言うタラントゥラである。「テレビの恐ろしさは、これほどの、まさに全体主義国家顔負けの『規制』がかかりながら、視聴者のほとんど(すなわち善人)にそれを気がつかなくさせてしまうことである」(13ページ)
そうだ。テレビのコメンテーターや、Twitterに入ってくるメッセージは、善良な弱者なのだ。だから気持ちが悪い。

本書は哲学書である。ハウツー本のように答えが書いてあるわけではない。読了して、感じたこと、考えたことは十人十色だろう。だが、それで良いのだ。その時点で、「『みんな』と同じ行動をとることに一抹の疑問も感じない」善良な弱者からは卒業である。
(2006年5月4日 読了)
(この項おわり)
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