『とてつもない日本』――同胞よ、閣下に続け!

麻生太郎=著
表紙 とてつもない日本
著者 麻生太郎
出版社 新潮社
サイズ 新書
発売日 2007年06月10日
価格 734円(税込)
rakuten
ISBN 9784106102172
私は、日本は素晴らしい「底力」を持っていると確信している。これは何も国粋主義とかそんな野暮なものではない。―(中略)―少なくともそう考えてみたほうが、「駄目だ、駄目だ」の野党流よりも、元気がでるんじゃないか。そう思うのだが、どうだろう。(39ページ)

概要

麻生太郎
麻生太郎
著者の麻生太郎さんは、「祖父・吉田茂は、私が幼い頃、よくこんなふうに語っていた。『日本人のエネルギーはとてつもないものだ。日本はこれから必ずよくなる。日本はとてつもない国なのだ』――」(15ページ)と振り返る。
そして、「私は、日本は素晴らしい『底力』を持っていると確信している。これは何も国粋主義とかそんな野暮なものではない。―(中略)―少なくともそう考えてみたほうが、「駄目だ、駄目だ」の野党流よりも、元気がでるんじゃないか。そう思うのだが、どうだろう」(39ページ)と読者に問いかける。同感である。
一方で、「すべての人に創意工夫を求めて『自己実現』を要求するのは、間違っているのではないかとも思う」(45ページ)として、ニートを認める。「団塊」「しらけ」「新人類」「おたく」などが作り上げてきた日本のサブカルチャーに世界が注目していることを挙げ、「ニー卜世代が新しいものを作り出してくれる可能性は大いにあるのではないか」(53ページ)という。また、平等は信仰心のようなものだと指摘する。このあたりが、麻生さんがネットで「閣下」と呼ばれる由縁であろう。

レビュー

麻生さんは「(少子高齢化が)問題だというのは、つまり『老人が多い社会は良くない」といっているも同然ではないか」(72ページ)と疑問を呈し、「私は、老化は退化ではなく、どこまでも進化だと思っている」(74ページ)と主張する。だから巣鴨でもウケる。

格差社会については、「学校から選択されるのではなく、自らが選択するものになれば、教育格差などという後ろ向きの発想は一掃できるに違いない」(101ページ)と主張する。学校を会社に置き換えても同じことだろう。
個性を重視する社会にあっては、結果の違いが発生するのは当たり前であって、それを格差と感じるのはおかしいと思うし、それを格差と指摘するマスコミや識者もおかしい。十人十色、差があっていいじゃなイカ。

麻生家と言えば石炭産業である。ところが、麻生太郎さんが入社した頃には、石炭部門の整理縮小の時代だった。1979年に衆院選挙に立候補したとき、地元の筑豊は疲弊しきっていた。「バブル崩壊後の経済不況が25年早くやってきたと想像していただければいいだろうか」(106ページ)と振り返るが、「21世紀の星」を掲げて立候補した麻生さんへの風当たりは冷たかった。それでも政治家は未来を見据えて、展望を語らなければならないというのが麻生さんの持論だ。
1985年、九州工業大学情報工学部の誘致に成功し、北九州はIC生産のメッカとなり、飯塚市はIT特区に指定された。
そんな麻生さんにとって、昨今の不景気など騒ぐほどのことでもないのだろう。
「日本は不況といわれ、格差が拡大したといわれながらも、相変わらず世界第二の経済大国であり、貿易収支、経常収支ともに黒字なのは先進国の中では唯一日本だけだ。しかも、犯罪発生率は最低、特許取得率は一番、外貨準備高も一番。数字で見れば日本が『とてつもない力』を持った国であることは一目瞭然である。これで将来を悲観する方がどうかしている」(122ページ)。

麻生さんの外交ビジョンは夢に満ちあふれている。「大風呂敷を広げやがって、と思われるかもしれない。しかし、ビジョンとは大風呂敷である。そして日本の外交には、ビジョンが必要である」(186ページ)。

ここまで読んできて、麻生さんは、われわれビジネスマンに近い感覚をお持ちと見た。未来へのビジョンを示し、現実には八方美人ではなく汚れ仕事を引き受ける責任感――これこそ、リーダーに求められる資質ではないか。
秋葉原の若者と巣鴨の高齢者は、そんな麻生さんに惚れた。われわれ中堅ビジネスマンは、麻生さんに学び、一緒に「元気な日本」を作っていこうじゃありませんか。戦争責任やグローバリズムなんて格好をつけている場合ではない。等身大の日本国民として、憎まれることもあるかもしれないけれど、憎んでいる人をも巻き込んで、世界の人たちと幸せな未来を作っていこうじゃありませんか。
(2013年12月16日 読了)

参考サイト

(この項おわり)
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