『オシムの言葉』――選手のモチベーションを上げるために

木村元彦=著
表紙 オシムの言葉 増補改訂版
著者 木村 元彦
出版社 文藝春秋
サイズ 文庫
発売日 2014年01月04日
価格 759円(税込)
rakuten
ISBN 9784167900205
モチベーションを上げるのに大事だと思っているのは、選手が自分たちで物事を考えようとするのを助けてやることだ」(209ページ)

概要

イビチャ・オシム
イビチャ・オシム
著者は、スポーツから民族問題まで、幅広い分野で執筆活動を展開する木村元彦 (きむら ゆきひこ) さん。本書の底本となった『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』は、ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞作品、文科省読書感想文コンクール課題図書でもある。
「言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある」(44ページ)と語るイビチャ・オシムは、サッカー界のみならず、日本人に大きな影響を与えてきた。

レビュー

オシムは「正直言うと、私はビッグクラブ向きの人間ではない」(137ページ)と言う。「私は自分の意見を言う監督だ。どんなにいい選手でも動きが悪ければ言う」。だから大きな組織向きではないというのだ。
これはサラリーマンにも当てはまる。自分の意見を通したいサラリーマンは、大企業に長居しない方がいい。

オシムはメディアに対し、「若い選手が少し良いプレーをしたら、メディアは書き立てる。でも少し調子が落ちて来たら、一切書かない。するとその選手は一気に駄目になっていく。彼の人生にはトラウマが残るが、メディアは責任を取らない」(26ページ)と苦言を呈する一方、「日本人は平均的な地位、中間に甘んじるきらいがある。関心に欠ける。これは危険なメンタリティーだ。受身過ぎる。(精神的に)周囲に左右されることが多い。フットボールの世界ではもっと批判に強くならなければ」(42ページ)と警鐘を鳴らす。

オシムが代表監督に就き、快進撃をはじめたユーゴスラビアは、しかし、内戦がはじまり、国家分裂の時代に突入していた。異なる民族からなる代表チームをまとめ、プロパガンダに使おうとするマスコミから選手を守り、オシムは戦った。そのオシムから見たら、わが国の選手は軟弱に映ったのかもしれない。
1991年、ユーゴスラビア軍がオシムの故郷サラエボに侵攻。夫人と次男は故郷に取り残された。この年、オシムが率いるパルチザン・ベオグラードは優勝するが、「私のサラエボが戦争にあるのに、サッカーなどやっていられない」(121ページ)と言い残し代表監督も辞任する。

代表監督を辞したオシムは、ジェフの祖母井秀隆GMのオファーに対し「直接、会いに来たのは君だけだ」(151ページ)と言って、日本行きを快諾したという。
そのときオシムの通訳を務めることになった間瀬秀一 (ませ しゅういち) は、クロアチアリーグでのプレー経験だけでなく、現役生活の全てを海外で燃焼したサッカー選手である。
間瀬さんは「監督が何かを言う。で、100パーセント、日本語で伝える。伝わったはず。なのに、選手ができない時がある。てことは、伝えたことになってないんですよ」(194ページ)と言い、「だから、まず伝わるように訳す。例えば監督がギャグを言う。そしたら、絶対笑わしてやる」という気持ちで通訳しているという。
その間瀬さんをして「あの人は監督をやっているんじゃなくて、監督という生き物なんですよ」と言わしめたオシム監督。間瀬さんは「この監督の通訳をやって、自分がJリーグの監督になるっていう新しい目標ができたんですよ」と語る。指導者の真骨頂である。

オシムは「モチベーションを上げるのに大事だと思っているのは、選手が自分たちで物事を考えようとするのを助けてやることだ」(209ページ)と言い、「「ただ、大体の場合、いいプレーをしたらカネを2倍払うよ、と言われた日には、ろくなプレーはできない」とジョークを飛ばす。これは、会社で部下のモチベーションを上げるときにも参考になる。

オシムはスタッフとカードゲームに興じることが多い。そのとき、「リスクを冒して、大きい手を必ず狙いに行ったりする」(199ページ)という。「サッカー同様にオシムは学業も優秀な学生だった。特に数学に秀でていた」(51ページ)のだ。
そしてリスクをとるサッカー哲学の背景には、「観客が満足するようなことに挑戦することこそが、大切なこと」(223ページ)という思いがある。
これもビジネスに繋がる。ビジネスでリスクをとるのは会社のためではなく、顧客のためなのだ。このことを忘れてはならない。
オシムは、「ミスをした選手を使わないと、彼らは怖がってリスクを冒さなくなってしまう」(238ページ)とも言っている。

2007年11月、オシムは脳梗塞で倒れる。日本代表監督に着任したばかりで、たいへんショッキングなニュースだった。
死の淵から生還し、退院したオシムは「スタジアムに足を迎び、選手たちに大いにプレッシャーをかけて下さい。もっと走れ、もっとプレースピードを速くしろと。そして選手たちが良いプレーをした時には大きな拍手を与えて下さるように」(316ページ)とのメッセージを発する。
2011年4月、FIFAは規約をめぐってボスニアサッカー協会の加盟し確定し処分を下した。この危機に、オシムは病気と高齢を省みず祖国に戻り、協会の説得工作に奔走した。鉄の扉さえ開くというオシムのユーモアが功を奏し、協会の理事たちは心を開き、2012年5月、ボスニアサッカーへの処分が撤回された。
2013年、ボスニアのW杯出場が決まった瞬間、オシムの第一声は「日本と戦えると良いな」だったという。
(2014年5月11日 読了)

参考サイト

(この項おわり)
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