『新聞記者 司馬遼太郎』――無償の功名主義

産業経済新聞社=著
表紙 新聞記者 司馬遼太郎
著者 産経新聞社
出版社 文藝春秋
サイズ 文庫
発売日 2013年06月07日頃
価格 682円(税込)
rakuten
ISBN 9784167838652
職業的な出世をのぞまず、自分の仕事に異常な情熱をかけ、しかもその功名は決してむくいられる所はない。紙面に出たばあいはすべて無名であり、特ダネをとったところで、物質的にはなんのむくいもない。無償の功名主義こそ新聞記者という職業人の理想だし同時に現実でもある(223ページ)

概要

司馬遼太郎
司馬遼太郎
望月衣塑子 (いさこ) 氏の著書『新聞記者』が店頭になく、先に産経新聞が著した『新聞記者 司馬遼太郎』を読了。あとがきで、司馬遼太郎氏が亡くなって10日後、「司馬を『文学作家』としてもて囃すのはお門違いだ」と書いた東京新聞に対し、本書は「首肯しがたい」と否定。

ただし、本書の刊行は2001年。文庫本化は2013年のことなので、望月衣塑子氏の記事をめぐる産経新聞の批判とは全く関係がない。おそらく、両社の社風の違いなのだろう。本書は、司馬遼太郎氏の、産経新聞を中心に15年ほど勤めた記者時代のエピソードを、関係者から集めた内容。
私は司馬史観が好きではないし、産経新聞をヨイショするつもりも更々ないが、社会部や政治部の記者をやったことがない司馬遼太郎氏が、なぜあらゆる分野の人物から巧みに話を聞き出し、社会に影響を及ぼしているのかを、東京新聞の記者女史は考察した方がよろしいかと感じた次第――。

レビュー

司馬遼太郎氏は、京都で寺や大学の取材を担当していた。戦後の福井大地震の際、現地に特派員として派遣され、京都に戻ってからは京大のツテで地震の専門家に取材している。また、寺社のツテで、金閣寺放火事件の真相もスクープしている。それを望月衣塑子氏より若い時にやってのけている。

もちろん、時の権力者を批判することも怠らない。産経新聞のコラムでお盆の話を取り上げ、「吉田さん(吉田茂首相)はじめ再軍備派の御一統、高野槙の1つも持って、トクと今後の心構えでもご懇談あればお盆の真義も現代的に生きようというものだ」とユーモアたっぷりにチクリ。

福井大地震の際、司馬遼太郎氏が現場で出会ったうだつの上がらない老記者は、春になると田んぼから出てくるカエルを取材するのだが、その記事が他社より常に早いという。老記者は「カエルも総理大臣もおなじですよ。大臣に会うばかりでは新聞はできない」(219ページ)――これが産経の社風なのか。

司馬史観を好きになれないのは、私がマルクスの唯物史観に毒されており、その流れを汲む心理歴史学(アイザック・アシモフのSFに登場する架空の学問)の実在を信じて疑わないからである。
だが、現地に足を運び、自分の目で状況を見聞し、地元の人の話に耳を傾けるスタイルには深く共感する。司馬氏は後輩記者に、「新聞記者は火星人の眼と地下の人の眼の両方を持たないといけない」(183ページ)と語ったことがある。大局的な見方と、庶民感覚ともに大事だ、という心構えである。
その後輩記者は、司馬氏を「社会のメカニズムと、それを動かす人間の虚と妄と慾を、外科手術の達人のように、冷静に、鋭く脈分けする。決して対象におぼれない。しかも既成の観念にとらわれず、自分のメスで切りこむ。恐るべき知性のひとだ」(184ページ)と評する。それは、新聞記者を辞めた後も、「桑原武夫、吉川幸次郎、貝塚茂樹、湯川秀樹といった京都大学が生み出した碩学たちとも交際があった」(201ページ)があったからだろう。

このあと、東京新聞・望月衣塑子氏の著書『新聞記者』を読んだのだが、新聞記者としての決定的な違いが、この「知性」を備えているかどうかである。
司馬氏は、1962年2月、朝日新聞に、新聞記者の理想像として「職業的な出世をのぞまず、自分の仕事に異常な情熱をかけ、しかもその功名は決してむくいられる所はない。紙面に出たばあいはすべて無名であり、特ダネをとったところで、物質的にはなんのむくいもない。無償の功名主義こそ新聞記者という職業人の理想だし同時に現実でもある」(223ページ)という文章を書いている。

巻末に、記者時代のコラムが掲載されている。
政治風刺から空飛ぶ円盤の話まで、時流を分析する目は流石としか言いようがない。
(2018年2月3日 読了)

参考サイト

(この項おわり)
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